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きにぞ渡り給ふ。おとゞひんがしの御かたに聞え奉り給ふ。あはれと思ひし人の物うんじしてはかなき山里に隱れ居にけるを、をさなき人のありしが年比も人知れず尋ね侍りしかどもえ聞き出でゞなむ女になるまで過ぎにけるを、おぼえぬかたよりなむ聞きつけたる時にだにとてうつろはし侍るなり。母もなくなりにけり。中將を聞えつけたるに惡しくやはある。同じごとうしろみ給へ。山がつめきておひ出でたればひなびたること多からむ。さるべくことに觸れて敎へ給へ」といとこまやかに聞え給ふ。「げにかゝる人のおはしけるを知り聞えざりけるよ。姬君の一所ものし給ふがさうざうしきに、善きことかな」とおいらかにのたまふ。「かの親なりし人は心なむありがたきまでよかりし。御心もうしろ安く思ひ聞ゆれば」などのたまふ。「つきづきしくうしろ見む人なども事おほからでつれづれに侍るを嬉しかるべきことになむ」とのたまふ。殿のうちの人は、御むすめとも知らで、「何人をまた尋ね出で給へるならむ。むつかしきふるものあつかひかな」といひけり。御車三つばかりして人のすがたどもなど右近あれば田舍びずしたり。殿よりぞ綾何くれと奉り給へる。その夜やがておとゞの君渡り給へり。昔光源氏などいふ名は聞き渡り奉りしかど年比のうひうひしさにさしも思ひ聞えざりけるを、ほのかなるおほとなぶらにみ几帳のほころびよりはつかに見奉る。いとゞ恐しくさへ覺ゆるや。渡り給ふかたの戶を右近かいはなてば、「この戶口に入るべき人は心ことにこそ」とうち笑ひ給ひてひさしなるおましにつゐ居給ひて、「火こそいとけさうびたる心地すれ。親の顏はゆかしきものとこそ聞け。さもおぼさぬか」とて几帳