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ふといと嬉しけれどあひ見で過ぐさむいぶせさの堪へ難う悲しければ夜晝おぼゝれて同じ事をのみ「さらば若君をば見奉らでは侍るべきか」といふより外の事なく母君もいみじう哀なり。年頃だに同じいほりにも住まずかけ離れつればまして誰によりてかはかけとゞまらむ。唯あだにうち見る人の淺はかなる語らひにだにみなれそなれて別るゝ程はたゞならざめるをましてもて僻めたる頭つき心おきてこそたのもしげなけれど、又さる方にこれこそは世を限るべきすみかなめれと、ありはてぬ命を限に思ひて契りすぐし來つるを俄に行き離れなむも心細し。若き人々のいぶせう思ひ沈みぬるは嬉しきものから見捨て難き濱のさまを又はえしもかへらじかしと寄する波にそへて袖ぬれがちなり。秋のころほひなれば物の哀れ取り重ねたる心地してその日とある曉秋風凉しくて蟲の音もとりあへぬに海の方を見出して居たるに、入道例の後夜より深う起きて鼻すゝりうちして行ひゐましたり。いみじうこといみすれど誰も誰もいと忍びがたし。若君はいともいとも美くしげに、よる光りけむ玉の心地して袖より外に放ち聞えざりつるを見馴れてまつはし給へる心ざまなどゆゝしきまでかく人に違へる身をいまいましく思ひながら、片時見奉らではいかでかすぐさむとすらむとつゝみあへず。
「行くさきをはるかに祈るわかれ路にたへぬは老の淚なりけり。いともゆゝしや」とておしのごひかくす。尼君、
「もろともに都はいできこのたびやひとり野中の道にまどはむ」とて泣き給ふさまいと