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Page:Kokubun taikan 01.pdf/342

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ぶきいへば、「更にその田などやうの事はこゝに知るまじ。唯年頃のやうに思ひてものせよ券などはこゝになむあれどすべて世の中を拾てたる身にて年頃ともかくも尋ね知らぬをそのことも今委しくしたゝめむ」などいふにも、おほい殿のけはひをかくれば、煩はしくてその後物など多く受け取りてなむ急ぎつくりける。かやうに思ひよるらむとも知り給はでのぼらむ事を物うがるも心得ずおぼし、若君のさてつくづくと物し給ふを後の世に人の言ひ傅へむ、今ひときは人わろきにやとおもほすに、造りはてゝぞ然々の所をなむ思ひ出でたると聞えさせける。人にまじらはむ事を苦しげにのみものするは、かく思ふなりけりと心得給ふ。口惜しからぬ心の用意の程かなとおぼしなりぬ。惟光の朝臣、例のしのぶる道はいつとなくいろひ仕うまつる人なれば遣してさるべきさまに此處彼處の用意などせさせ給ひけり。「あたりをかしうて海づらに通ひたる所のさまになむ侍りける」と聞ゆれば、さやうのすまひによしなからずはありぬべしとおぼす。造らせ給ふ御堂は大覺寺の南にあたりて瀧殿の心ばへなど劣らずおもしろき寺なり。これは川づらにえもいはぬ松かげに何のいたはりもなく建てたる寢殿のことそぎたるさまもおのづから山里の哀を見せたり。內のしつらひなどまでおぼしよる。親しき人々いみじう忍びてくだしつかはす。遁れ難くて今はと思ふに年經つる浦を離れなむこと哀に、入道の心ぼそくて一人とまらむことを思ひ亂れてよろづに悲し。すべてなどかく心づくしになり始めけむ身にかと露のかゝらぬ類ひうらやましく覺ゆ。親たちもかゝる御迎にて上るさいはひは年頃寢てもさめても願ひわたりし志のかな