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Page:Kokubun taikan 01.pdf/344

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ことわりなり。こゝら契りかはしてつもりぬる年月の程を思へばかう浮きたる事を賴みて捨てし世にかへるも思へばはかなしや。御かた、

 「生きて又あひ見むことをいつとてかかぎりも知らぬ世をば賴まむ。送にだに」とせちにのたまへど、かたかたにつけてえさるまじきよしをいひつゝさすがに道のほどもいと後めたき氣色なり。「世の中を捨て始めしにかゝる人の國に思ひ下り侍りしことも唯君の御ためと思ふやうに明暮の御かしづきも心にかなふやうもやと思ひ給へ立ちしかど、身の拙かりけるきはの思ひ知らるゝ事多かりしかば、更に都に歸りてふるずらうのしづめる類にて、貧しき家の蓬葎もとの有樣あらたむる事もなきものから公私にをこがましき名をひろめて、親の御なきかげをはづかしめむことのいみじさになむ。やがて世を捨てつるかどでなりけりと人にも知られにしをその方につけてはよう思ひ放ちてけりと思ひ侍るに、君のやうやうおとなび給ひ物おもほし知るべきにそへてなどかう口惜しき世界にて錦をかくし聞ゆらむと心の闇はれまなく歎きわたり侍りしまゝに、佛神を賴み聞えてさりともかう拙き身に引かれて山がつのいほりにはまじり給はじと思ふ心一つを賴み侍りしに、思ひより難くて嬉しき事どもを見奉りそめてもなかなか身の程をとざまかうざまに悲しう歎き侍りつれど、若君のかう出でおはしましたる御宿世のたのもしさにかゝる渚に月日をすぐし給はむもいとかたじけなう契ことに覺え給へば、見奉らざらむ心惑ひはしづめ難けれどこの身は長く世を捨てし心侍りき。君だちは世を照し給ふべき光しるければ暫しかゝる山賤の心を