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たさりとてかゝる所にて生ひ出でかずまへられ給はざらむもいと哀なればひたすらにもえ恨み背かず。親たちもげにことわりと思ひ歎くになかなか心もつきはてぬ。昔母君の御おほぢ、中務の宮と聞えけるがらうじ給ひける所、大ゐ河のわたりにありけるをその御のちはかばかしうあひつぐ人もなくて年比荒れ惑ふを思ひ出でゝ、かの時より傳はりて留守のやうにてある人を呼び取りて語らふ。「世の中を今はと思ひはてゝかゝるすまひに沈みそめしかども末の世に思ひかけぬ事出できてなむ。更に都のすみか求むるを俄にまばゆき人中いとはしたなく、田舍びにける心地もしづかなるまじきをふるき所尋ねてとなむ思ひよる。さるべき物はあげ渡さむ。すりなどしてかたのごと人住みぬべくはつくろひなされなむや」といふ。あづかり「この年比らうずる人もものし給はず、怪しき藪になりて侍ればしもやにぞつくろひて宿り侍るを、この春の比より內のおほ殿の造らせ給ふ御堂近くて、かのわたりなむいと人げ騷しうなりにて侍る。いかめしき御堂ども建てゝ、多くの人なむ造りいとなみ侍るめる。靜なるほいならば其や違ひ侍らむ」。「何かそれもかの殿の御かげにかたかけてと思ふことありて、おのづからおひおひに內の事どもはしてむ。まづ急ぎて大方の事どもを物せよ」といふ。「自ららうする所に侍らねど又知り傳へ給ふ人もなければ、かごかなる習ひにて年頃かくろへ侍りつるなり。御さうの田はたけなどいふことの荒れ侍りしかば故民部の大輔の君に申し給はりて、さるべき物など奉りてなむらうじ作り侍るを」なんど、そのあたりのたくはへの事どもをあやふげに思ひて髭がちにつなしにくき顏を鼻などうち赤めつゝはち