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てかく立てたる御心ならむ」ともどきつぶやく。侍從もかの大貳のをひだつ人語らひつきて留むべくもあらざりければ、「心よりほかに出で立ちて見奉り置かむがいと心苦しきを」とてそゝのかし聞ゆれど猶かくかけ離れて久しうなり給ひぬる人に賴みをかけ給ふ御心の內に、さりともありへてもおぼし出づるついであらじやは、あはれに心深きちぎりをし給ひしに、我が身のうくてかく忘られたるにこそあれ、風のつてにても我がかくいみじきありさまを聞きつけ給はゞ必ずとぶらひ出で給ひてむと年比おぼしければ、おほかたの御家居もありしよりけにあさましけれど、我が心もてはかなき御調度どもなども取り失はせ給はず、心づよく同じさまにて念じすぐし給ふなりけり。ねなきがちにいとゞおぼし沈みたるはたゞ山人の赤きこのみひとつをかほに放たぬと見え給ふ御そばめなどはおぼろけの人の見奉り許すべきにもあらずかし。委しくは聞えじ、いとほしう物いひさがなきやうなり。冬になり行くまゝにいとゞかきつかむかたなく悲しげにながめすごし給ふ。かの殿には故院の御ために御八講世の中ゆすりてし給ふ。殊に僧などはなべてのは召さず、ざえすぐれおこなひにしみ尊きかぎりをえらせ給ひければこのぜんじの君も參り給へりけり。かへりざまに立ち寄り給ひて、「しかしか權大納言殿の御八講にまゐりて侍りつるなり。いとかしこう生ける淨土のかざりに劣らずいかめしうおもしろき事どものかぎりをなむし給ひつる。佛菩薩のへんぐゑの身にこそものし給ふめれ、いつゝのにごり深き世になどて生れ給ひけむ」といひてやがて出で給ひぬ。ことずくなに世の人に似ぬ御あはひにてかひなき世の物語をだにえ