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Page:Kokubun taikan 01.pdf/316

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聞え合せ給はず。さてもかばかりつたなき身のありさまをあはれに覺束なくてすぐし給ふは心うの佛菩薩やとつらう覺ゆるを、げに限なめりとやうやう思ひなり給ふに、大貳の北の方俄に來たれり。例はさしもむつびぬを、さそひ立てむのこゝろにて奉るべき御さうぞくなどてうじてよき車に乘りておもゝち氣色ほこりかに物思ひなげなるさましてゆくりもなく走り來てかどあけさするより人わるくさびしき事かぎりなし。左右の戶もよろぼひ倒れにければをのこども助けてとかくあけさわぐ。いづれかこの淋しき宿にも必ずわけたる跡あなる三つのみちとたどる。僅にみなみおもての格子あけたるまに寄せたれば、いとゞはしたなしとおぼしたれどあさましうすゝけたる几帳さし出でゝ侍從出で來たり、かたちなど衰へにけり。年ごろいたうつひえたれどなほもの淸げによしあるさまして、かたじけなくともとりかへつべくみゆ。「出で立ちなむ事を思ひながら、心苦しき御ありさまの見すて奉りがたきを侍從の迎になむ參り來たる。心うく思し隔て給ひて御みづからこそあからさまにも渡らせ給はね、この人をだに許させ給へとてなむ、などかうあはれげなるさまには」とてうちも泣くべきぞかし。されど行く道に心をやりていとこゝちよげなり。「故宮おはせし時おのれをばおもてぶせなりとおぼし捨てたりしかばうとうとしきやうになりそめにしかど、年ごろも何かはやんごとなきさまにおぼしあがり、大將殿などおはしまし通ふ御宿世の程を、かたじけなく思ひ給へられしかばなむ、むつび聞えさせむも憚ること多くて過ぐし侍りつるを、世の中のかくさだめもなかりければかずならぬ身はなかなか心安く侍るものなり