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Page:Kokubun taikan 01.pdf/267

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はれなるめをや見む、現の人の心だに猶苦し、はかなき事をもかつ見つゝわれより齡まさりもしは位高く時世のよせ今ひときはまさる人には靡き隨ひて、その心むけをたどるべきものなり、退きてとがなしとこそ昔のさかしき人も言ひ置きけれ、げにかく命を極め世に又なきめの限を見盡しつ、更に後のあとの名をはぶくとてもたけきこともあらじ、夢の中にも父帝の御敎ありつればまた何事をか疑はむと思して御かへりの給ふ。「知らぬ世界に珍しきうれへのかぎり見つれど都の方よりとて言問ひおこする人もなし。唯ゆくへなき空の月日の光ばかりを故鄕の友とながめ侍るに嬉しき釣船をなむ。かの浦にしづやかにかくろふべき隈侍りなむや」との給ふ。限なく喜びかしこまりまうす。「ともあれかくもあれ夜の明けはてぬさきに御船に奉れ」とて例の親しきかぎり四五人ばかりして奉りぬ。例の風出で來て飛ぶやうに明石につき給ひぬ。唯はひ渡る程は片時のまといへど猶怪しきまで見ゆる風のこゝろなり。濱のさまげにいと心異なり人しげう見ゆるのみなむ御願ひに背きける。入道のらうじしめたる所々海のつらにも山がくれにも時々につけて興をさかすべき渚の苫や、おこなひをして後の世のことを思ひすましつべき山水のつらにいかめしき堂を立てゝ、三昧行ひこの世のまうけに秋の田の實を刈り收め殘の齡積むべき稻の倉町どもなど折々所につけたる見所ありてしあつめたり。高潮におぢてこの頃むすめなどは岡邊のやどに移して住ませければこの濱のたちに心安くおはします。船より御車に奉り移るほど日やうやうさしあがりてほのかに見奉るより老も忘れ齡のぶる心地して笑みさかえてまづ住吉の神をかつがつ