コンテンツにスキップ

Page:Kokubun taikan 01.pdf/225

提供:Wikisource
このページは校正済みです

うちさうどきてらうがはしくきこし召しなすを咎め出でつゝ强ひ聞え給ふ。多かめりし事どもかやうなる折のまほならぬ事數々に書きつくる心なきわざとか、貫之が諫めたうるゝ方にてむつかしければとゞめつ。皆この御事を譽めたるすぢにのみ倭のもからのも作り續けたり。我が御心地にもいたうおぼし奢りて「文王の子武王の弟」とうちずじ給へる御名のりさへぞげにめでたき。成王の何とかのたまはむとすらむ、そればかりや又心もとなからむ。兵部卿宮も常に渡り給ひつゝ御遊などもをかしうおはする宮なれば、今めかしき御あはひどもなり。

その頃かんの君罷で給へり。わらはやみに久しう惱み給ひてまじなひなども心やすくせむとてなりけり。ず法など始めて、怠り給ひぬれば誰も誰も嬉しうおぼすに、例の珍しきひまなるをと聞えかはし給ひてわりなきさまにてよなよなたいめし給ふ。いと盛に賑はゝしきけはひし給へる人の少しうち惱みて瘦々になり給へる程いとをかしげなり。きさいの宮も一所におはする頃なればけはひいと恐ろしけれど、かゝる事しもまさる御癖なれば、いと忍びて度かさなり行けば氣色見る人々もあるべかめれど、煩はしうて宮にはさなむとは啓せず。おとゞはた思ひかけ給はぬに、雨俄におどろおどろしう降りて神いたう鳴りさわぐ曉に、殿のきんだちみやつかさなど立ちさわぎて此方彼方の人目しげく女房どもゝおぢ惑ひて近う集ひまゐるに、いとわりなく出で給はむ方なくて明けはてぬ。み帳のめぐりにも人々しげくなみ居たればいと胸つぶらはしくおぼさる。心しりの人二人ばかり心を惑はす。神なりやみ雨少しをやみぬるほどにおとゞ渡り給ひて、まづ宮の御方におはしける