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うもあらず皆佛に讓り聞え給へるおまし所なれば少し氣近き心ちして、
「ありし世のなごりだになき浦島に立ちよる浪のめづらしきかな」とのたまふもほの聞ゆれば、忍ぶれど淚ほろほろとこぼれ給ひぬ。世を思ひすましたる尼君達の見るらむもはしたなければ言ずくなにて出で給ひぬ。「さも類なくねびまさり給ふかな。心もとなき所なく世に榮え時にあひ給ひし時はさるひとつものにて、何につけてか世をおぼし知らむと推し量られ給ひしを、今はいといたうおぼししづめてはかなき事につけてもものあはれなる氣色さへ添はせ給へるはあいなう心苦しうもあるかな」など老いしらへる人々うち泣きつゝめで聞ゆ。宮もおぼし出づる事多かり。司召の頃、この宮の人は賜はるべきつかさも得ず、大方のだうりにても宮の御たうばりにても必ずあるべき加階などをだにせずなどして歎くたぐひいと多かり。かくてもいつしかと御位を去りみふなどのとまるべきにもあらぬをことづけて變ること多かり。皆かねておぼし捨てゝし世なれど、宮人どもゝよりどころなげに悲しと思へる氣色どもにつけてぞ御心動く折々あれど、我身をなきになしても東宮の御代をたひらかにおはしまさばとのみおぼしつゝ御おこないたゆみなく勤めさせ給ふ。「人しれず危くゆゝしう思ひ聞え給ふ事しあればわれにその罪をかろめて免し給へ」と佛を念じ聞え給ふに萬を慰め給ふ。大將もしか見奉り給ひてことわりとおぼす。この殿の人どもゝ又同じさまに辛きことのみあれば、世の中はしたなくおぼされて籠りおはす。左のおとゞもおほやけわたくし引きかへたる世の有樣に物憂くおぼして致仕の表奉り給ふを帝は故院のやんごと