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やす所のおほん方々の人々まかで散らずさぶらばせ給ふ。里の殿はすりしきたくみづかさに宣旨下りて、になう改め造らせ給ふ。もとの木だち山のたゝずまひ面白き所なるを、池の心廣くしなしてめでたく造りのゝしる。かゝる所に思ふやうならむ人をすゑて住まばやとのみ歎かしうおぼしわたる。光君といふ名は、こまうどのめで聞えてつけ奉りけるとぞ言ひ傳へたるとなむ。
箒木
光源氏名のみことごとしう言ひ消たれ給ふとがめ多かなるにいとゞかゝるすきごとどもを末の世にも聞き傳へて輕びたる名をや流さむと忍び給ひけるかくろへごとをさへ語り傳へけむ人の物言ひさがなさよ。さるはいと痛く世を憚りまめだち給ひけるほどになよびかにをかしき事はなくて、交野の少將には笑はれ給ひけむかし。まだ中將などにものし給ひし時はうちにのみさぶらひようし給ひておほい殿にはたえだえまかで給ふを、「しのぶのみだれや」と疑ひ聞ゆることもありしかど、さしもあだめき目馴れたるうちつけのすきずきしさなどはこのましからぬ御本性にて、稀にはあながちに引きたがへ心づくしなることを御心におぼしとゞむるくせなむ、あやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。なが雨晴間なきころ、うちの御物忌さしつゞきていとゞ長居さぶらひ給ふをおほとのにはおぼつ