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の紙の、年經にければはひおくれふるめいたるに、御手はさすがにもじつよう中さだのすぢにてかみしも等しく書い給へり。見るかひなううち置き給ふ。如何に思ふらむと思ひやるも安からず。かゝることを悔やしなどはいふにやあらむ、さりとていかゞはせむ、我さりとも心長う見はてゝむと、おぼしなす御心を知らねばかしこにはいみじうぞ嘆い給ひける。おとゞ夜に入りてまかで給ふにひかれたてまつりて、大殿におはしましぬ。行幸の事を興ありとおもほしてきんだち集りてのたまひおのおの舞ども習ひ給ふを、そのころのことにて物のねども常よりも耳かしがましくてかたがたいどみつゝ、例の御あそびならず、おほひちりき、さくはちの笛などの大聲を吹き上げつゝ、たいこをさへ高欄のもとにまろばし寄せて手づから打ち鳴し遊びおはさうず。御暇なきやうにてせちにおぼす所ばかりにこそぬすまはれ給へ、かのわたりにはいと覺束なくて秋暮れはてぬ。なほ賴みこしかひなくて過ぎゆく。

行幸近くなりて試樂などのゝしるころぞ命婦は參れる。「いかにぞ」など問ひ給ひていとほしとはおぼしたり。有樣聞えて、「いとかうもて離れたる御心ばへは見給ふる人さへ心苦しく」など泣きぬばかりにおもへり。心にくゝもてなして止みなむと思へりしことをくたいてける、心もなく、この人の思ふらむをさへおぼす。さうじみの物もいはで覺しうづもれ給ふらむさま思ひやり給ふもいとほしければ「いとまなき程ぞや。わりなし」とうち歎い給ひて「物思ひ知らぬやうなる心ざまをこらさむと思ふぞかし」とほゝゑみ給へる、若ううつくしげなれば、我も打ち笑まるゝ心地して、わりなの、人に恨みられ給ふ御よはひや。思ひやり少なう