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Page:Kokubun taikan 01.pdf/132

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御心のまゝならむもことわりと思ふ。この御いそぎの程過ぐしてぞ時々坐しける。かの紫のゆかり尋ねとり給ひてはそのうつくしみに心入り給ひて六條わたりにだにかれまさり給ふめれば、まして荒れたる宿は哀におぼし怠らずながら物憂きぞわりなかりける。所せき物はぢを見顯さむの御心も殊になくて過ぎ行くを、打ち返し見まさりするやうもありかし。手さぐりのたどたどしきに怪しう心得ぬ事もあるにや見てしがなとおもほせど、けざやかにとりなさむもまばゆし。打ち解けたるよひゐの程やをら入り給ひて格子のはざまより見給ひけり。されどみづからは見え給ふべくもあらず。几帳などいたく損はれたるものから、年經にけるたちど變らず押しやりなど亂れねば心もとなくて御達四五人居たり。御だいひそくやうのもろこしのものなれど、人わろきに何のくさはひもなくあはれげなる、まかでゝ人々くふ。すみのまばかりにぞいと寒げなる女房白き衣のいひしらず煤けたるにきたなげなるしびらひきゆひつけたる腰つきかたくなしげなり。さすがに櫛おし垂れてさしたる額つき、內敎坊內侍所のほどにかゝる者どものあるはやとをかし。かけても人のあたりに近うふるまふ者とも知り給はざりけり。「あはれさも寒き年かな。命長ければかゝる世にも逢ふものなりけり」とてうち泣くもあり。「故宮おはしましゝ世を、などて辛しと思ひけむ。かく賴みなくても過ぐるものなりけり」とて飛び立ちぬべくふるふもあり。さまざまに人わろき事どもを憂へあへるを聞き給ふもかたはらいたければ、立ちのきて只今おはするやうにてうち敲き給ふ。「そゝや」などいひて火とりなほし格子放ちて入れ奉る。待從は齋院に參り通ふ