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Page:Kokubun taikan 01.pdf/105

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こゆ。「この煩ひ給ふ事よろしくはこのごろすぐして京の殿に渡り給ひてなむ聞えさすべき」とあるを、心もとなうおもほす。

藤壺の宮惱み給ふ事ありてまかで給へり。うへのおぼつかながり歎き聞え給ふ御氣色もいといとほしう見奉りながら、斯る折だにと心もあくがれ惑ひていづくにもいづくにも詣で給はず。內にても里にても晝はつくづくと詠め暮して、暮るれば王命婦をせめありき給ふ。いかゞたばかりけむ、いとわりなくて見奉る程さへ現とは覺えぬぞわびしきや。宮もあさましかりしをおぼし出づるだによと共の御物思ひなるを、さてだにやみなむと深う覺したるに、いと心憂くていみじき御氣色なるものから懷しうらうたげに、さりとてうちとけず心深う耻かしげなる御もてなしなどの猶人に似させ給はぬを、などかなのめなることだにうち交り給はざりけむとつらうさへぞおぼさるゝ。何事をかは聞えつくし給はむ。くらぶの山にやどりも取らまほしげなれど、あやにくなるなる短夜にてあさましうなかなかなり。

 「見てもまた逢ふ夜まれなる夢の中にやがてまぎるゝ我が身ともがな」とむせかへらせ給ふさまもさすがにいみじければ、

 「世がたりに人や傳へむたぐひなくうき身をさめぬ夢になしても」。おもほし亂れたるさまもいとことわりにかたじけなし。命婦の君ぞ御なほしなどはかき集めもて來る。殿におはしてなきねに臥しくらし給ひつ。御文なども例の御覽じ入れぬよしのみあれば、常の事ながらもつらういみじうおもほしほれて、うちへも參らで二三日籠りおはすれば、またいかなる