Page:Kokkaron1905.djvu/68

提供: Wikisource
ナビゲーションに移動 検索に移動
このページは校正済みです


若し樹松の戶なくんば奚んぞ習慣ありと謂ふ可ん。

公德ある社會とは個人が善く公德を實行するを謂ふなり。公德は個人の精神內に在るのみ。離れて公園を逍遙しつゝある者にあらず、又道路に彳立するものにあらず、人々之を行ひ、之に由る。之れ公德ある所以なり。人の行はざる倫理習慣の如きは、社會に存すと云ふ可らず。但だ口碑又は記錄の上にて存在するに外ならず。例へば古人は某々の習慣ありしと謂ふが如し。今夫れ法律も亦個人の實行に於て生命を保つなり。個人の實行は即ち個人の精神中に存在するなり、法律は收めて六法全書の中に在りとは、活字の法律