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して置いて宜いものだ。心の鎭めなどいふが此れも今日の思想で中心を立つるのであるから其の意味があるのは勿論であるが、唯其れ丈ではない樣だ。神社には皆地中に掘り立てたる柱があるが其れが中心であるから天之御柱も亦此れだといふのも要する今日の思想である。今日の思想に於ては極めて簡單で明白である。又中心といふ思想のあるのは勿論であるが其れ丈ではあるまいと思ふ。乃ち古事記に由りて見ると「天の御柱」は夫婦の道をなす所以の大切なるものである。卽ち宗敎的に見ても亦社會的見ても根本的なるものである。

古事記に據れば男神、女神に問ふ。汝が身は如何に成れるかと。女神答へて曰ふ。吾が身は成り成りて成り合はざる處ー處ありと。男神曰ふ。我が身は成り成りて成り餘れる處ー處ありと。故に吾が身の成り餘れる處を以て汝が身の成り合はざる處に刺し塞ぎて國土を生成せんに。如何んと。女神答へて曰く。善しと。男神曰ふ。然らば吾れ汝と是の天の御柱を行き廻り逢ひてみとのまぐはひせなと。此く云ひ終りて、汝は右より廻り逢へ、我は左より廻り逢はんと約し竟りて廻る時に、女神より先づ「愛する男よ」といへり、後