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に男神「愛する女よ」といふ。言ひ竟りて男神、女神に吿げて曰ふ。女人先づ言ふは良からずと。

此の後に古事記には直ちに

雖然。久美度邇興而。生子水蛭子。此子者。入葦船而流去。次生淡嶋。是亦不入子之例。

とある。卽ち天の御柱を廻る大禮の中、女人の先き言ふ丈は誤つて居たが「くみどに興して」といふのである。「くみど」は「こもりど」で寢室である。寢室に行いたのである。して見れば「くみど」と天の御柱とは全然別のものであり、又別の處に在るものと思はれる。然らば天御柱は八尋殿と如何なる關係あるかといふに先づ柱を立つるといふは底津石根に宮柱布刀斯理といふと同様の言ひ方であらう。宣長は「かゝれば今ニ柱の神の廻り賜ふも彼の八尋殿の御柱どもの中にもその中央に立てる御柱なりけんかし」といふて居るがさうだらう。卽ち八尋殿の外に獨立せるのではないだらう。

 其れ丈のことではその御柱と其れに伴ふ儀式とを解釋することは出來ない。