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柱の動き無きが如く其の心を鎭め治めて假にも動き移らふことなく平かに安らかに在るべきとぞ。(久保季兹 神代敎義解)

又釋日本紀には

私記日。問。何故謂之國中哉。〇答。言以此島爲國中之柱。或說。此島正値天地之中故云國中者。甚非也。〇又問。此柱何物哉。〇答。古說曰。天神所賜遨矛旣探得磤馭盧島畢。卽以其矛衝立此岛爲國柱也。卽其矛化爲小

山也。今如此紀者。以磤馭盧島爲國柱也。其實以此小山爲之。今又衣古說耳。(釋ロ本紀)

國中の柱といふのは全國の中心又は根本目標といふ様な意味である。此觀念は餘程進歩したる者である。政治的統制的の意味に於てする者で、今日にても何等か中心を立てゝ一種の團體を作るものであるが其れと全然同じ觀念である。其れを餘つて素朴的な宗敎儀式が行はれるといふことは思想の混淆、時代の錯誤である。天の御柱に就いては一層原始的なる意味を發見しなければならぬと思ふ。

瓊矛が島となり、島が中心であるなどいふのは要するに詰らぬ話で唯附けたりと