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天之御柱は八尋殿の柱なり。(村上忠順古事記標註)

 天之御柱は八尋殿の柱となるべきものである。上古の建築ではまづ中央の柱を地に掘立てたのである。婚姻に先立つて新夫婦の住むべき家を新築したことは萬葉集にも見えてゐるが後世結婚した新婦を新造といふのもこの風習が言語上殘つてゐるのである。(次川潤、古事記新譯)

 「見立て」の「見」は自ら其場にあつて事を成す意の接頭語である。卽ちよく見とゞけて立てる意である。見送る見極める、見取るなども同じ。親しくその事をする意である。(同上)

 彼矛を大地の鎭固の柱としたまへるなり。是を以てかの漂へる物凝結して漸々に締り堅まり此國土は如此に成就るなり。これにより神宮及天皇の御殿の中央に柱を立てゝ齋柱天之御柱、心の御柱など稱へて重きものとし後世まで人家に大極柱といひて立てるにて顯宗天皇の播磨の縮見屯倉が新室壽の御言に「築立柱者此家長之御心之鎭也」と詔る如くこの柱を家主の心を鎭る表物とせるは全く瓊矛を立て大地を堅め給へる神業に習へることを知るべし。然れば人は國中の御