Page:KōgaSaburō-Yōkō Murder Case-Kokusho-1994.djvu/9

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 急報に接して、愴惶そうこうとして帰って来た博士は、真黒に焦げた愛妻の屍体を、暗然と眺めながら、うめくような悲痛な声で、「あいつだ!」と呟いた。博士は無論、人に聞かすつもりはなかったのだが、彼の傍で様子をうかがっていた刑事は、その言葉を聞洩ききもらさなかった。そのために、博士は後に、官憲からかなり激しく追究されたが、彼はかきのように口をつぐんで、あいつだと云ったのが、誰を指すのか絶体ママに云わなかった。

 屍体は何しろ相好もよく分らないほど、焼けただれていたので、死因を極める事は非常に困難だったが、屍体の横わっていた位置と、状態とから、火災の起る以前に、既に死んでいた事が確められた。そうして、根気のいい刑事の捜索によって、屍体の横わママっていた現場附近から、ピストルの弾丸が発見せられた事によって、彼女は何者かに、ピストルで射殺せられたのであろうと云う事になった。犯人は彼女を射殺してから、犯跡をおおうために火を放ったのであろうが、何によって爆発が起ったのかは、全然不明だった。

 博士邸の怪火、しかも、若く美しい夫人が惨殺されて、焼跡から屍体になって出て来たと云う大事件であるから、警察当局は必死になって、犯人の検挙に努めたが、犯人を突き留める事はおろか、爪の先ほどの手掛りも摑む事が出来ないで、新聞では早くも迷宮入りを伝えられ、博士の研究が絶対秘密のものだっただけに、流言蜚語ひごが飛び交うと云う始末だった。

 捜索にあぐねた当局は、とうとう、脇田博士の愛弟子で、今は、学界では師の名声をしのぐほどで大学教授の現職にある横林博士を容疑者として拘引した。横林博士はく評判のいい学者だったので、当局者が、博士が脇田夫人と、何か情交関係でもあったような風説をもとにして同氏を拘引したのを、新聞では、血迷った当局などと、侮蔑的な記事を掲げて、冷笑したものだった。そうして、結果は新聞の嘲笑を裏書きして、何等なんら確定的な証拠が摑めないで、横林博士を放免する他はなかった。当時は、横林博士の拘引について、学界の暗闘とか、醜い学者心理とか云う題で、盛んに新聞紙上にデマが飛んだもので、学界の暗闘と云うのは、横林博士の反対派の教授が、当局に密告したと云うので、醜い学者心理と云うのは、暗に脇田博士を指したので、同博士が、愛妻の屍体を見た時に、あいつだと云う意味深長な言葉を、わざと聞えよがしに云って、犯人は同博士が親しく知っている人間である事を当局に暗示した事を指摘して、その後堅く口をつぐんでいるのは、益々横林博士の嫌疑を濃厚にしようと云う逆手だと云うのだった。中には、いかに偏狭な脇田博士でも、それほどまでに色眼鏡をかけて見るのはひどい、やはり博士は愛弟子を思う余り、口を閉じているのだろうと云うような説もあって、これらの説には、当局者も大いに動かされた訳で、ついに、横林博士の拘引になったのだからそれも今云う通り、何の得る所もなく放免と云う事になって、事件は全く迷宮入りとなったのだった。

 さうして、爾来、一年の間、何の進展も見せないで、迷宮のまま推移し、当局は無論まだ必死の捜索を続けていたが、忘れっぽい世人の記憶からは、もう殆ど消えかけた頃に、突如として、解決のたんちよが握られたのだった。と云うのは、先刻さつき、ちょっと話しかけて、後廻しにした八木万助のブローニングの出所が、思わぬ事件の展開を見せたのだった。



 八木万助は前に述べた通り、彼が所持していたピストルの出所を、容易に自白しなかったが、係官の厳重な訊問に、とうとう包み切れないで白状したところによると、意外にもそのピストルは小石川の脇田博士邸から盗み出したと云うのだった。