Page:KōgaSaburō-Yōkō Murder Case-Kokusho-1994.djvu/8

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ら出て、一散に逃げて行こうとしたので、この野郎と、背後うしろから一発浴せママて、ぶっ倒れた所を見届けると、家の中に飛込んで、女房のやつを、散々にぶちのめしたのです」

 万助の話は大約こんな事だったが、諸君も既にお気づきの通り、筋の通っているような、通っていないような、奇々怪々な話である。それに、係官の首を捻らせた事は、被害者の脇田博士が誰知らない者はないと云うほど、有名な物理学者で、年配もすでに五十を半ば近く越しているし、なるほど、一介の労働者の妻にしてはちょっと綺麗だし、がさつな夫に比べると、やや教育もあるようだが、博士ともある者が、こんな場末のあばら屋に来て、こう云う女と忍び合おうとは考えられない事だった。

 それに更に奇怪な事は、実はこれは読者諸君の興味をそそるように、わざと前後して書いたのだが、万助が、彼自身が射殺した屍体を見せられた時に、やや、と云って、退るほど驚いた事で、彼は、その屍体になっている男が、彼を芝の怪屋に連れ込んで、種々の怪奇な事を見せ、挙句にテレビジョンで、女房があだし男と忍び合っている所を見せた男に他ならないと云ったのだった。が、間もなく、彼はその不合理な事に気がついたらしく、よく似てはいるが、どこか違う所があると訂正したのだった。

 次に、係官は、万助に、彼が最新式のブローニング自働ママ拳銃ピストルを、常時ふだん懐中ふところに忍ばしていた理由と、拳銃ピストルをどうして手に入れたかと云う事について、厳重に訊問をした。万助はこの訊問については、知らぬ存ぜぬの一点ばりで、いっかな自白しなかったが、手をかえ、品をかえて、根強く責め問われて、とうとう、恐れ入って口を開いた。

 そこで、私は彼の自白を紹介しなければならないのだが、その前に、読者諸君も、既にお気づきになって、大いに気にしていられるであろう所の、脇田博士の事を、ちょっと述べて置こう。



 脇田博士は既に述べた通り、有名な物理学の権威者で、早くも、大学教授の栄職をなげうって、小石川の自宅に、ラボラトリーを設け、そこで孜々ししとして、研究を続けていた篤学者だった。研究題目は、高温度に於ける金属の性質と云う事だったが、門外漢の私には、くわしい事は分らぬ。一般に知られた博士の身辺を巡るゴシップは、博士が余程変屈な人である事と、若く美しい夫人を持っている事だった。が、そんな事よりも、一般世間の人を、アッと驚かしたのは、今から一年余り以前の、昨年の三月中旬に起った、博士邸の怪事件であろう。

 諸君のうちには、昨年の三月十四日の深更、博士邸に突如として、一大爆音が起って、木造家屋の一部は、猛烈な勢いで燃え上り、即座に駆けつけた消防隊の努カも無効で、鉄筋コンクリート造りの研究室を残して、宏壮な邸宅が全部烏有うゆうに帰した事件を、記憶せられている方が、少なからずあると思う。

 世間の人を驚かしたのは、物理学の権威脇田博士の邸内に、突如爆音が起って、忽ち同邸を焼き払ったと云う事だけに止らないで、更に、世人をアッと云わせたのは、焼跡から無残な焼死体が現われて、しかも、それが博士の若く美しい夫人で、検屍の結果他殺の疑いがあると発表せられた事だった。

 爆発に続いて、火災のあった当夜は、脇田博士は留守だった。彼は研究の結果をまとめるために、書類を持って、二日ばかり以前から伊豆の温泉に逗留中で、夫人は女中と二人きりで留守居をしていたのだったが、当夜は女中の親が急病で、暇を貰って行ったので、全く夫人一人だった。