Page:KōgaSaburō-Yōkō Murder Case-Kokusho-1994.djvu/10

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 ここでいささか喜劇めいた悲劇が起ったのであるが、八木万助はどっちかと云うと、少し足りないような好人物で、左官の下職したしよくと云う事で、世間は勿論、彼の妻も堅く信じていたのだったが、内実は彼は月に一度か二度の割で、夜稼ぎをしていたのだった。八木万助が常習の窃盗であると云う事は、ちょっと信じにくい事で、彼の妻は係官からその事を聞かされた時には、冗談を云うにも程があると云って怒ったそうだが、やがて、それが本当だと云う事が分ると、ワッとばかりに泣き崩れて、係官を持て余させたと云う事だった。

 さて、ピストルの話に戻るが、八木万助は、これも最初は中々云わなかったのだが、博士邸に怪事件の起った当夜、同邸に忍び込んだのだった。彼が十二時過ぎに同邸に忍び込むと、思いがけなく、居間らしい所に電燈がついていて、そこから男女らしい二人の話声が洩れたので、彼は驚いて――当夜は博士は留守だったのだから、この万助の申立は可笑おかしい。しかし、暫く彼の云うままに記録しよう――廊下から逃げ出すと、その拍子にポンと何か蹴飛けとばして、ガラガラと云う音を立てたので、彼は二度吃驚びつくりして手にしていた懐中電燈を消すと、壁にへばりついて、呼吸いきらしたが、その時にふと前の方を見ると、うるしのような真暗闇の中から、恰度、彼の頭の高さ位の所に、スーッと一筋の光りが、まるでかすみもやのように、棚引たなびいているのだった、オヤッと思って、尚も眼を凝らすと、一筋の光りが、今度は明暗の縞のように分れ始めた。それは、しかし、あると云えばあるし、ないと云えばないと云う位の、モヤモヤとしたもので、ホンの薄煙みたいなものだったが、万助は何となく気味が悪くなったので、あわてて懐中電燈をつけて照らして見たが、そこはずっと廊下の続きになっていて、両側は壁になって、別に何の変った事もなかった。

 彼は、もう一度電燈を消して、フワフワした煙のようなものの正体を突きとめる勇気も、好奇心もなかったので、そのまま逃げるように歩き出したが、その時、ふと、足許あしもとを見ると、驚いた事には、一挺のピストルが落ちているのだった。彼が今し方蹴飛したものは、確かにこれらしい。

 彼は半ば無意識にピストルを拾い上げて、尚も歩き続けたが、やがて、彼は先刻、薄煙みたいなものがモヤモヤしていたあたりに来かかったので、今は別に何にも見えていないのだが、何となく煙につっかかるような気がしたので、ヒョイと頭を下げて、そこを通り過ぎた。(もし、彼がここで頭を下げなかったら、大変な事が起ったのだった)

 さて、そこを通り越して見ると、困った事には、廊下が突当りになっていて、そこにドアがあったが、鍵がかかっていて、ビクともしなかったので、つまり、先に行けない事になったのだった。彼はすっかり狼狼して、元の所へ引返そうと、クルリと向きを変えると、南無三、向うの方から人の来る気配がするのだ! あッと思う間もなく、廊下にパッと電燈がついた。見ると、美しい夫人が歩いて来るのだった。万助は絶対絶命だった。

 彼は手にしていたビストルを突きつけて、

「手を上げろ!」と叫んだ。

 夫人は極度の驚愕の色を見せて、サッと両手を高く上げた。すると、その途端に、プスッと云う異様な音がして、夫人はパッタリ斃れた。不意に夫人がパッタリ斃れたので、万助は何事を考える暇もなく、逃げ出そうとしたが、その時に、轟然と一大音響がして、彼は何事も分らずになってしまった。

 暫くして気がつくと、万助は廊下の床の上に倒れていた。あたりは火の海だった。万助は気絶していただけで、幸い、どこも怪我はしていなかったので、火の手の薄い所から、一散に外に逃げ出した。

 彼はその時に、夢中で、ピストルを握ったまま逃げた。そうして、その後、何と云う事なしに、そ