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Page:KōgaSaburō-KiseiYama-Touhou-sha-1957.djvu/7

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をして、「どうもあかん」とけろりとしている。

 この時に彼の角力の呼名を、係の剽軽な長谷川が奇声山とつけた。始めて呼ばれた時には、みんなドッと笑つたが、本人は抗議を申込みもしなければ、笑いもしないで、平気で呼び名を受けた。それから彼は陰で奇声山々々と呼ばれるようになつたが、終いには面と向かつて云うようになつた。然し、彼の場合では、之を綽名と云うより、寧ろ代名詞と云つた方が適当で、つまり丸山君と呼ぶ代りに、奇声山と呼ぶので、彼もその横りで嫌な顔もせず返辞ママした。

 之が奇声山の謂われだが、そうこうしているうちに、病気だつた矢島がすつかり恢復して、近日のうちに出勤すると云う事になつた。とすると矢島の代りに臨時に来ている奇声山は当然辞めなければならない。所が、誰の気持も同じで、奇声山に愛嬌があるとか人望があるとかは云えないが、罪がなくて、重宝で何となく滑稽な所もあり、居ても邪魔にならない、一種の人気役者で、彼が一枚加わつていると、話も何となく面白いと云うので、出来れば辞めないで、居て貰つた方が好いと云う所に自然と一致して来た。本人も多少の蓄財はあり、辞めても差当り食うには困らないらしいが、まあ、彼にして見れば割に気楽な仕事で、月々金が貰えるのだから、このまゝ居座れゝば結構だと云う風だったので、例の長谷川だとか、用度の主任だとかゞ、多少は口を利いたようだつたが、どうも小さな会社の事で、一人余分の人間を置く訳に行かず、始めから臨時と云う約束だつたのではあるし、矢張り三月一杯と云う事で、約束通り辞める事になつたのだつた。

「奇声山も愈々止すのかな」

「あれがいると鳥渡面白いがね」

「退屈した時に、暇潰しには実に好い相手だが」

 性質の好くない、人を揶揄つては喜んでいる社員達の間には、こんな会話がちよいちよい交された。僕もまあ奇声山がいた方が好いと思う方だつた。


 忘れもしない俸給日の翌日だから、三月の二十六日だ。昼休みに例の如く庶務室に行くと、常連の顔は揃つていたが、何だか気の拔けた麦酒みたいに淋しい。みんなも物足りなそうな顔をしている。ふと、気がついて見ると、交換台に藤田がいない。尤もいかに受付を兼ねていたつて、朝から晩まで交換台に坐りつ切りと云う訳に行かないから、彼女と雖も無論席にいない事はある。然し、様子が何となく鳥渡中座した位の事ではなさそうだ。冗談話をしながら、暫