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とによると三月にかけて休まなくてはならないので、他の係は兎に角、用度と云う所は実に忙しい、と云つて無経験の者では鳥渡勤まらない所なので、結局経験のある人を臨時に雇入る事になって、這入つて来たのが奇声山なのだ。

 奇声山と云うのは本名は丸山と云つて、額がテカテカして、眼と眼の間の離れている余り威厳のない顔の男だつたが、之が上方者で、大阪弁かなんか丸出しで、極めて調子が好い。

「さよか、結構だす。やりましよ」

 と云つた調子で、何でも呑込んで、賛成して終う。本人はニコリともせず大真面目なのだが、この人と向き合うと、どうもニヤせざるを得ない。所が彼は、いくら相手がニヤしていようが、小馬鹿にしようが、一向平気でいるのだつた。

 この人が入社した時は、どうした風の吹き廻しだつたか、社では謡曲が大流行だつた。どうもあらゆる娯楽のうちで、謡曲ほど仲間を集めたがるものはないと思う。浪花節もどきの謡でありながら、非常に自信があり、謡曲会の幹事をしていた剽軽な長谷川と云う男が、丸山に直ぐ入会の勧誘をした。所が、彼は即座に、

「結構だす、やりましよ」と云つて入会したが、さあ彼の謡なるものが大変だつた。

 鼻の穴から頭の天辺へ突拔けるような奇声で、さながら釜の底をブリキで掻き廻すに等しい。そこへ持つて来て、彼はあたり構わず奇声を張上げる。一緒に謡つている人と合おうが合うまいが、そんな事は一向頓着しない。之には勧誘した長谷川も、些かたじろいたのだつた。

 所が、当時会社ではもう一つ角力が流行つていた。土俵は以前からあつたのだが、寒くなつて抛つてあつたのを、本場所以来、急に景気づいて、職工達も交つて、昼休みに退社時問後に、本式にやつたものだ。それで誰だつたか、丸山を勧誘したものだ、後で考えて見ると、勧誘した奴もした奴だが、引受けた丸山も呆れるの他はない。彼は例の調子で、

「結溝だす。やりましよ」てえんで、その日に裸身になつて土俵に出たのだが、彼の年齢がどうだ割に若く見えるので三十七八かと思つていたら、どうして、後で分つた事だが、もう四十を越しているのだ。それで角力が強いかと思うと大間違いで、てんで素人の、今までに裸身で褌をしめて取つた事があるかどうかさえ疑わしい。

 土俵に出て若い相手に一突やられるとストンと仰向けに引繰り返つて終う。会々組つけば、手もなにもあつたものじやない。無茶苦茶に動き廻つて、自分の力で尻もちをついて終う。それでいて、ニコリともしなければ、渋面を作りもしない。無表情で、悪く云えば洒々とした顔