然し、藤田は何と云つても小さい時から、男達の間に這入つて揉まれているから、そこは心得たもので、随分と際どい揶揄い方をされても、飽くまで小供らしく振舞つて平気でいるし、又󠄂特定の人に持別〔ママ〕の厚意を示したりしない。図々しい若者達は彼女から厚意を強奪するように、取れたボタンをつけさせたり、綻びたズボンを縫わせたりする。彼女だつて今の年になつてから会社に這入つて来たのなら、まさかそうした扱いも受けないだろうが、何しろホンの子供の時から来ているのだから、彼女のそう云う時代から知つている社員達は、実に気易く彼女を扱う。然し、彼女は少しも嫌な顔をせず易々として、いいつけられた通り、いろ〳〵女らしい世話をしてやる。
だから彼女を取巻く人達に、尽く厚意を持つているとも云えれば、尽く厚意を持つていないとも云える。でまあ、自惚れた奴は自分に厚意を持つていると思つて気取つているし、神経質の奴は少くとも自分以外の特定の人間に厚意を持つていないと安心しているし、押の強い奴は直ぐ自由に出来るように思つているし、気の弱い奴は何となく近寄れないでいると云つた訳で、お互の作用反作用で、表面はまあ至極無事で、昼の一時間はみんなで彼女に揶揄いながら、愉快に送つた訳なんだ。
彼女の方はそれで好かつたが,若い社員の方では彼女に特別の興味を持つていたものは二三あつたらしい。その中で、僕にも明か〔ママ〕に分つたのは、僕の預かつている工場で、僕の下になつて働いている谷口と云う青年だつた。この男は勤勉で柔順で素直な男なんだが、難を云うと陰気で優柔不断でいけない。この男がどうも藤田に恋をしているらしい。それが先方に通じているんだか、通じていないんだかもよく分らないし、どれ位の程度に思つているのかもよく分らないのだが、今云うように煮え切らない男だから、僕も突込んで訊く気にならない。自分の部下ではあるし、工業学校も出ているし、一方藤田の方は教養は劣つているが、純情な邪気ない所があつて、確りもしているようだから、場合によつては面倒を見てやつても好いんだが、僕はそうした積極的の気持になれなかつた。そうこうしているうちに一事件持上つたのだ。
事件の始まりは矢張り奇声山が入社した時からだと云える。なに朝鮮人かつて、そうじやないよ、なに日本人にしては奇声山なんていうのは可笑しいと。それには訳があるのだ。そう先廻りをしては話が出来ないじやないか。
去年の暮から今年にかけて、用度掛かりの矢島と云うのがチフスにかゝつたんだ。可成ひどくやられて、一時はどうかと云うほど悪かつたが幸に生命はとり取めた。然し、二月一杯、こ