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「いるよ、君の次に美しい人だよ」

「まあ」彼女は大袈裟な表情をしたが、

「きくちやんなんていないわ。今日いないひと誰だろう。ああとくちやんじやない」

「とくちやんと云つたのかな」彼は鳥渡首をかしげながら、

「兎に角、ホラ、この向うの隅に茫然としている、色の白い貴公子然とした若い人がいるだろう。時々溜息をついて、悲しそうな顔つきをしているね。あの人の多分恋人だろうと思うがね」

「そうよ」彼女はチラと青年の方を見て、

「あの方とても、とくちやんに御熱心なの。あなたどうして知つてるの」

「なに、誰でも目当の女がいないと、あゝ云う風にぼんやりしているものだ。所でとくちやんは今日お休みかい」

「自分で休んでるのよ。一週間ばかり」

「病気かい」

「そうだろうと思うの」

「で、あの貴公子は一週間あゝやつて無駄にお通いかい」

「そうなの、あの方とても内気でね。とくちやんを思つている事は、ありと分つてるんだけれども、ちつとも口に出さないの。あゝやつて毎日一人で来ては茫然しているのよ。とくちやんも罪だわ」彼女は些か妬けているらしかつた。

「所で、今帳場の所に歩いて行つた背の高いハイカラな紳士だね。この暑いのに御丁寧に革の手袋なんか嵌めている人さ。あれはお馴染かい」

「あゝ、あの人、とてもハイカラだわね。いゝえ、そうお馴染じやないの。此頃よ」

「あの人のお目当は誰だい」

「知らないわ」

「君かい」

「冗談でしよう。殊によつたら、とくちやんよ」

「とくちやんは凄いんだね」

「えゝ、あの人つたら初心なような顔をしていて、中々大したもんよ」彼女はこのカフエでは美貌の方に属するので、とくちやんに対して対抗意識が非常に強いようだつた。