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「だって屍休は置いて行つたのだからね」

「首を持つて行つたのがあるじやないか」

「身代りの偽首か。まさかね、アハハハハ」

「然し、高野家のブルドックもそんなに高価なものだから、いずれ輪入犬だろうが、して見ると、後の事件に関係がないとは云えないね」

「うん、関係があるかも知れないね」

「止せ」仲間の一人が腹立しそうに怒鳴つた。

「ブルドックの話なんか止めろ。俺達はカフェ・オーリアンにいるんだぜ。そんな話はどこでも出来るじやないか。不経済な奴だな。見ろ、そんな話を始めるから、女給が一人も寄りつきやしない」

「同感々々、花ちやんを呼べ」

「おい、ふうちやん、ビールだ」

 忽ち賛成者が出来て、ブルドックの話はそのまま、一同は思い出したように、注ぎ置きのビールをガブ飲み出した。

 カフエの中は依然として喧々囂々を極め、自動ピアノの耳を聾する響きは轟き渡つていたが、もう潮時は過ぎたと見えて、ボツ帰る客もあり、チラチラと開いた卓子があつた。受持の女給は、喰い散らした皿や、飲みかけの酒、転がつた洋盃、山のように積つた吸殼で燻つている灰皿で、手のつけようもない狼籍を極めた汚い卓子を、驚くべき熱ママ練と敏捷さでさつさと片附けていた。

 青年達の会話に聞耳を立てゝいた妖婆のような男は、いつの間にか一人の美しい女給を引きつけて話をしていた。

「いつも繁昌ママだね」

「えゝ、お蔭さまで」

 女給はあまり馴染でないと見えて、ひどく改まつて返辞ママをした。相手の男の異様な顔つきとだらしのない服装に対して、彼女は迷惑と軽蔑との交󠄁錯した眼つきを報いていた。

「きくちやんはどうしたい。見えないようだが」彼は彼女の眼つきなどは一向平気で、ニヤ薄気味悪く笑いママがら訊いた。

「きくちやん? そんなひといないわ」