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するが、画は確かに先夜御前様がいずれへか御しまい遊ばされ――」

「ば、馬鹿な」

 松坂は余りの事に口も利けなかった。信頼し切っている、永年忠勤を尽してくれた柏谷老人にまで、世間で取沙汰されているような考えを持っていられるのかと思うと、彼はあたかもシーザーが刺される時に当って、ブルタスママお前もかと云つた、その気持ママに似たものを感じて、つくづく情けなくなつた。

「御前様のお惜しみ遊ばすのも御尤もでござりまするが。侯爵様の御機嫌を損じまする事は、誠にはや、御不ごふためでござりまするで、あの方を怒らせ申したために、潰れました会社も沢山ござりますやに聞いておりまする。殊にこの際でござりまするで、どうか私めの申す事をお聞入下さりまして、一刻も早く侯爵様の御手許にお差出し下さいまするよう――」

 老執事は松坂の沈黙したのに乗じて、不興をこうむるのは覚悟の前ではあるが、しかしそれを恐れはばかるように、おどおどしながら、一生ママ懸命に哀訴歎願するのだった。

 余りに予期しない言葉だったので、半ば上の空で聞流していた松坂は、ふと、一体彼はただ世上の風評を聞いて、一途に自分が名画を隠したように思い込んでいるのだろうか。それとも他に何か彼にこう信じさせる事実でもあるのかと考えついたので、静かに彼を制しながら訊いた。

「お前の云う事は少しも分らんが、一体お前は何か理由があってそんな事を云うのか」

「御前様」彼は情けなそうに松坂の顔を見上げた。「お隠し遊ばしても駄目でございまする。あの晩、夜中に御前様が広間から画を階下したにお運びになりまするのを、私は見ておりましてござりまする。はい」

「なにッ!」松坂はいよいよいでて、意外極まる柏谷老人の言葉に驚きの眼をみはった。

「はい」老執事はすっかり覚悟をめたように、「こうなれば何もかも申上げまする。私はあの晩に御前様が広間からあの画をお運びになる所を、すっかり見ておりました。その時には御前様が御前様のものをお片附になりまするのでございまするから、別に大して不審とも存じませんでございましたが、その翌朝せがれめが画が紛失していると蒼くなりまして騒ぎました時に、御前様も御一緒に血相を変えてお騒ぎになりましたので、誠に不思議に存じておりました次第でござりまする」

 老人の云う所は条理整然としていて、真実おもてに溢れ、決して噓を云っているとは思えなかった。しからば彼が主人と見たのは一体誰か。松坂は意外の余り、すぐに頭が働かなかった。

 と、突然、荒々しくドアが開いて、書生の一人が顔色を変えて飛込んで来た。

「粕谷さん、た、大変です。直ぐ来て下さい」

 粕谷老人は書生の大袈裟な態度をたしなめるように睨みながら、主人にちょっと挨拶をして室の外へ出たが、やがて彼は再び室に這入って来た。

 彼は幾分悄然としていた。しかし、別に取乱した様子もなく、はっきりした声で松坂に報告した。

「御前様。伜の繁松が何者かに殺されましたそうでござりまする」



「えっ」

 老執事の意外な報告に、我が耳を疑うように問返えママした松坂は、彼から返事を聞く事が出来なかった。と云うのは扉が開いて、二人の男がツカツカと彼の傍に来たからである。

「やあ」