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犯人が内部の者でなければならぬと云うので、この説は相当穿うがった想像だった。穿った想象だけに松坂は赫怒かくどした。

 帰国早々税関吏との不愉快な折衝をして以来、事々に不愉快を重ねた松坂の不機嫌はその絶頂に達して、一刻も早くこの不愉快から免れたいと念じたが、ただいらいらするばかりで、名画の行方は依然として不明だった。



 ニウルンベルクの名画が紛失してから三日目の晩、松坂は寝られないままに、書斎の椅子に茫然ぼんやりしながら腰を下していた。窓の外は濃い闇だったが、空には一面に八月の星がキラキラと美しく輝いていた。夜の更けた割に冷えず、ソヨとも風のない蒸暑い晩だった。

 松坂の頭には滞欧時代の楽しい追憶が浮び出て来た、かと思うと、直ぐそれは現在の苦々しい事件を思い出す事に依って、ぶち壊された。彼はその対策について考慮を巡らした。が、彼の頭には又間もなくもニウルンベルクで画を買い取った時の光景などが、茫然ぼんやり浮び出すのだった。彼は幾度となく溜息をつき、眉根をよせては苦悩の表情をした。

 と、静かにドアを叩く音がして、執事の粕谷繁作老人が、おずおずと這入って来た。

「えー、立腹はらだちでは恐れ入りますが、今晩は折入って申上げたい儀がござりまして――」

 彼は一気にこれだけの事を云うと、気遣わしそうに松坂の顔を見上げた。流石に頑固一徹の彼も、この二三日、名画の紛失と云う重大事件に突当って、一方では主人の不機嫌を一身に引受けるし、一方では警官や私立探偵や新聞記者から、うるさい訊問を浴せかけられながら、邸内の捜索やそれからそれへと詮議をしなければならないので、心身ともに疲れ果てていると云う風だった。しかし、今晩は何事か余程決心をしたと見えて、そうした疲れの中にもきっとした態度を示して、松坂を見上げた眼の中には、一種異様な光りがあった。

「何だね、改って――」

 松坂は怪訝けげんそうに老執事の顔を見た。父の存生時代から家にいて、子供のうちには彼の一喝を食って縮み上った事さえある松坂は、父の死んだ後には特に彼に対して親しみを増し、一方では幾分気兼をしている位だったので、彼のり言などは聞きたくなかったが、一概に跳ねつけもならず、こう訊き返えママした。

「御立腹になりますと、恐縮いたしまするので、どうか是非御立腹なく御聞取おききとりを相願いたいのでございまするが――」彼はくどくどと同じような事を云った。

「腹なんか立てやしないッ!」松坂は怒鳴った。「早く云っておしまい」

「は、は」執事はひどく恐縮しながら、「それでは申上げまするが、御前ごぜん様にはニウルンベルクの名画とか申しますのを、最早お取出しになりまして、侯爵様の方へ御遣おつかわしになりましてはいかがでござりましょうか。はい」

「何だって?」松坂には呑み込めなかった。

「御前様がどちらかへ御納めになりました例の画でござりまするが――」

「お黙りッ!」老執事が何を云っているのかが分ると、松坂は真赤になった。「お前はわしがあの画を隠しているとでも云うのかッ!」

「は、はい」粕谷老人はうろうろしながら、「そ、その御立腹は誠にはや、是非もなき儀でござりま