当時の習慣によると、この財界並に政界に〔ママ〕巨頭である老侯に賞讃された品は、何品によらず彼に献上しなけれはならなかった。そうした事が老侯の意を迎えるのに最も有効だったので、老侯を招待した実業家は何品かが老侯の眼に触れる事を
で、松坂はニウルンベルクの名画を老侯に献じなければならなかった。折角掘出して、虎の子のように秘蔵していたものを、ムザムザ人手に渡すのは甚だ惜しかったけれども、相手が老侯爵であるし、又老侯爵によってああまで激賞せられた事も、松坂に取っては嬉しかった事なので、彼は卑しい利己的な政策を離れて、むしろ喜んで老侯に献上を申出たのだった。老侯は無論機嫌よく彼の申出を受け入れた。
ところで、このニウルンベルクの名画がこのまま無事に老侯爵の手に納まれば、この物語もこれ以上に発展をせず、終結を告げたかも知れないが、ここで一つの変事が起ったので、むしろこれを発端として、事件は意外な方面に展開したのだった。
と云うのは、老侯を招待した日の翌日、ニウルンベルクの名画を侯の邸に届けようとすると、驚いた事には、一夜のうちに名画は消失してしまって、影も形もなくなっていたのだった。画を納めた広間の戸締りはそのままちゃんと鍵が掛っていたのみならず、他にあった二三の画は無事で、ただニウルンベルクの名画だけが紛失したと云う不思議極まる事だった。
松坂邸は上を下への大騒ぎになった。鶴輔はニウルンベルクの名画が紛失したと聞くと、彼の愛蔵
今まで書く機会がなかったが、ニウルンベルクの名画は十号大のもので、それに幅の広い頑丈な縁がついていたから、畳一枚の半分の
これらの人々は無論厳重に調べられたが、少しも有力な手掛りも見出されず、名画はまるで空気中にでも発散したように、消え失せてしまったのだった。
こうして二三日うやむやのうちに過していると、奇怪な噂が立ち初〔ママ〕めた。それは松坂が名画を一旦老侯に贈呈する約束はしたものの、急に惜しくなって、彼自身の手でどこかに隠して、盗まれたように云い触らしたのだと云うのだった。部屋の