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 南ドイツの旅行をえてベルリンに帰ると、間もなく松坂は故国に帰らねばならない余儀ない事情に逢着した。自由の天地から再びせせこましい拘束された所に帰るのは甚だ気が進まず、日本の事と云うと思い出されるのは不愉快な事ばかりであったが、そういつまでも気ままを云う訳にも行かないので、彼は一まず帰朝する事として、長い間に集めた絵画を持ち帰るべく荷造りを始めた。

 その中には無論ニウルンベルクで手に入れた例の古画があった。彼はその画をベルリンに持って帰えママると、直ぐ専門家に洗わしたが、予期したような署名が現われなかったので、二三の知人の画家に見せたところ、ヂウラーの筆だと云う者もあれば、むしろヂウラーの師ミカエル・ウォールゲムートだと云う者もあり、ヂウラー門下の逸足いつそくが書いたものだろうと云う者もあり、筆者は一定しなかったが、いずれもヂウラー時代のものであり、筆力雄勁ゆうけいどこへ出しても恥かしくない名画だと云う事に一致したので、松坂はこの画をニウルンベルクの名画と名付けて最も愛蔵するものの一に加えていたのだった。

 長い航海の後に故国の姿が見えるようになると、流石に松坂の胸はときめいて来た。三年振りで彼を迎えてくれる近親や親しい友人の顔が急に懐しく思い出されて、帰って来て好かったと云う風にホッと息をついた。日本を不愉快とのみ思っていたのは、彼の感傷的な誇張だったので、やはり日本人だったと云う事が沁々しみじみと考えられた。日本にもきっと何か好い事が待受けているに相違ないと云う風に思われた。

 しかし、故国の土に足を掛けた第一歩で、彼の幻影は破られてしまった。

 それは思わざる税官吏の無理解だった。彼等は奢侈品と云う名目のもとに、彼の携えて来た絵画に対して、到底支払えないような高率な税金を課したのだった。三年間で欧米の気風にすっかり心酔していた松坂は、唾棄すべき一小吏の官僚振りにかつとなって、云い争ったけれども、如何ともし難かった。彼は結局折角のコレクションを送り返えママすより途はなかった。彼は愛惜に堪えない四五の絵画に対し――その中にはニウルンベルクの名画も入っていた――憤怒に燃えながら、税関吏の要求するだけの税金を支払って通関し、残余はそのまま保税倉庫にとどめて置いた。

 ところが、上陸第一歩に不愉快な目に遭った彼は、それから後、事々に不愉快を重ねて行かねばならなかった。

 彼が呼び返された理由の一つは、関係事業会社が近来の深甚な不景気のために、経営が困難となって来たので、時の政府の救済を仰がねばならず、そのためには当主たる彼が中心となって、要路の大官の意を迎えなければならないと云う事だったので、彼は帰朝後度々盛大な宴を張って、高位高官の人を招待して、御機嫌を取らなければならなかった。そうした事も彼には実に不愉快だった。

 帰朝後間もなく、彼は矢張りそうした政略的の意味で、彼の邸宅へ政治家としてのみならず財界にも隠然大勢力を持っている某侯爵を招待した。宴後彼は広間で侯爵に彼の蒐集の一部分である欧米の古画を観せた。この時には彼は老侯爵の機嫌を取って、自分の事業を救おうなどと云う利己的な考えは一切忘れてしまって、蒐集家がその愛蔵品を他人に示す時に覚える所の、真に心からの喜びを持って、一つ一つの画の来歴を説明した。

 老侯爵はひどくニウルンベルクの名画が気に入ったようだった。彼は老眼鏡を手に持ち添えて、めるように絵の傍に寄って鑑賞しながら、しきりに激賞した。