Page:KōgaSaburō-A Doll-Tōhō-1956.djvu/5

提供:Wikisource
このページは校正済みです

動かなくなつて終つた。

 様子が何となく只の酔漢とは思えなかつたので、近寄りながらも、油断なく倒れた男の四辺に注意していた蓑島は、つつ伏した男の胸の辺から、変にドス黒いものが流れ出しているのを見逃さなかつた。

 血! 血! 血!

「わあ――」

 蓑島は無我夢中で野獣のような叫声を上げながら、二三間飛退つた。

「おい、どうしたんだい」

 いつの間にどこから現われたのか、蓑島は小柄のガッシリした男の手にしつかり支󠄂えられた。

 蓑島は思いがけない所へ、不意に見知らぬ男が現われたので、二重の恐怖に顫えて、水の切れた魚のように、パク口を動かしながら、容易に言葉が出なかつた。

「ひ、人殺しです」

 漸くの事で之だけの事を云うと、蓑島はブル顫える指先で、前の方を指さした。

「なに、人殺し?」相手は鳥渡驚いたようだつたが、直ぐうなずきながら、

「そうか、じや矢張今のは短銃の音だつたんだな」

「そ、そうです」蓑島は夢中で返辞ママをした。

「まあ、そう顫えないで、一緒に来給え」

 小男は蓑島の腕を摑んで、グイと引いた。それはその小男が出すと思えない程強い力だつたので、蓑島は顔をしかめながら、ヨロと前に出た。

「もう駄目だな」

 小男は懐中電燈で死体を照らした。斃れていたのは五十前後の肥満した紳士風の男だつた。

「君は犯人を見たかい」

 小男はクルリと簑島の方を向いて、鋭い声でこう訊いた。

「いゝえ」

 蓑島には不意に現われたこの男が、一体何者なのか少しも見当がつかなかつた。この淋しい一劃を拔けて、簑島が住んでいる奥の方へ行く人逹は、夜になると能く懐中電燈を持つたり、時に提燈を提げたりしていたので、この男が懐中電燈を用意していた事は、深く怪しむべき事ではなかつたが、一向このあたりで見かけない人間だつたし、それに口の利き方の横柄な事か