Page:KōgaSabrō-The Crime in Green-Kokusho-1994.djvu/6

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した。実際もし隠れた同情者である手弁護士の援助がなかったら、私はとうに絞首台こ上っていたかも知れません。しかし、幸に私は三年間未決監に呻吟した後、ようやく証拠不十分として放免されました

 私の放免されたのは一昨日です。私の放免されると云う記事は、新聞に一二行も出たでしょうか。 三年前にあれ程騒ぎ立てた新聞記者も誰一人私の出獄を迎えるものはありませんでした。もっとも私は少しも彼等の健忘を恨みはしません。いや、かえってコッソリ出獄出来るのを喜びました。他に出迎えるベ親戚友人そんな者は一人もありません。ただ恐れたのは例の同情者である手弁護士の出迎えで、彼も又きっと出迎えると云っていたのでしたが、どうしたか姿を見せませんでした。この事は私にとって誠に好都合でした。私は何者にも妨げられないで出獄出来る事を欲していました。と云うのは私は獄中で死を決していたのです。出獄が出来れば直ぐにこの山中に来て死ぬ決心でした。私はこれと云う理由なしにこの山中のかつて映画面で見たあばらやの中で死にたかったのでした。私にはこの廃屋を一眼見る他にはこの世に何の慾望も希望もありませんでした。

 両親に棄てられ、世に見棄てられ、健康を失い、家もなく妻子もない私が、何の希望をこの世に持ち得ましょうか。私が死んだとて、誰が悲しみ誰が笑うでしょうか。どこの誰の心にちよつとの動揺でも与える事が出来ましょうか。

 目的の緑の廃屋はしこのうち見えます。私は進んであの家の中に這入って、従容として死ぬばかりです。



 廃屋の入口は映画面に写し出された通りに、朽ち果てた自然木の門柱が立っていて、門柱には風雨に洗い去られた文字の跡がありました。

 映画「髙原の秋」の撮影監督者がどうして意味なしにこんな所を取り入れたのか。何でもロケーション中の一日の事、何かの工合で撮影が中止になったため、ぶりように苦んだ俳優や助手連はそこここと山の中を歩き廻って、滅多に人の行かない道にまで好奇心を起して行ったのだそうですが、そうした一行の一人がこの家を見つけたので、写真中に加えられる事になったのだと云う事です。私は獄中でこの家の事を思い出して、手弁護上に依頼して、以上の事を聞出し、かつこの家の位置もほぼ知る事が出来たのです。

 門柱に書かれた文字、これが私にとって大問題なのです。私はじっと剥げ落ちた文字の跡を睨みま した。

 門柱には、ああ、矢張私の信じていた通りでした。確かに緑林荘と書かれていたのです。気のせいでしょうか、いえ気の故ではありません。文字は非常に読みにくいのですけれども、緑林荘と書かれていたのに相違ありません。

 緑林荘! この深山の中に半ば崩れ落ちている廃屋の緑林荘と、東京郊外目黒にある、あの宏壮な 緑林荘との間には何か関係があるのでしょうか。私は確かに関係があると信じます。緑林荘などと、 忌わしい、誰もつける事を欲しないような名をつけるものが、あの偏執狂の鳥沢を除いて他にある筈がありません。