Page:KōgaSabrō-The Crime in Green-Kokusho-1994.djvu/5

提供:Wikisource
このページは校正済みです

 ああ緑の家! 三年間獄中に思い悶えていた緑の廃屋あばらや! 私はとうとうそれを探し当てたのでした。



 三年前の夏の夜でした。私は浅草の或る活動写真館で、人いきれに蒸されながらスクリーンに見入っていました。それは医学博士であり同時に文名の高い唐木からき氏の原作にかかる「高原の秋」と云う作品を脚色したもので、映画製作者は特に高原にロケーションをして、撮影したと云うので、かなり評判のものでした。

 そのロケーションに選ばれた所は八ケ嶽山麓の富士見高原でした。原作では八ケ嶽山麓には違いないが、富士見とは反対側の佐久さくの方らしいのですが、映画に特に富士見を選んだのは、唐木博士が日光療法を高唱し、富士見に曰光治療院と云う堂々たる病院を建設して、成功を収めていたので、博士に敬意を表すべく、同地を選んだらしいのです。しかし、こうした事は私の物語に直接関係はありません。只今云う映画面に富士見を中心とする八ヶ嶽の実写があったと云う事が、私に異常な運命を投げかけたのでした。

 映画面に本筋と何等関係なく、ただ山又山の深山の気分を出すために断崖や幽谷の実写が次々に現われましたが、そのうちに路もろくにないような山間に、コンモリとした林に囲まれた西洋館がヒョッコリ写りました。西洋館と云っても粗末な板囲い同様のもので住んでいる人もないようでしたが、私は場所が場所だけに、オヤッと思ったのでした。

 その家は今云う通り本筋には何の関係もないものですから、一瞬間写っただけで直ぐ消えてしまったのですが、何故か私には強い印象を与えました。後に起った事件のために、一層強く印象づけられたには違いないのですが、私はよしその事件がなくっても、きっとこの家の事は一生忘れなかったろうと思われる程、はっきり頭に残りました。その証拠には私はそんな瞬間的に現わママれて消えた間に、その家の入口に立っている曲った自然木の門柱に、文字らしいものの剝げ落ちた跡を見つけ、しかもそのうちの一字が、緑と云う字らしい――もっともこれは後で考えついたのかも知れません――事まで見てとったのでした。私は今でもあの映画を見た何万と云う人達が、どうしてこの家の事を見落していたのかと不思議に思っています。

 とは云うものの、実は私もその映画を見た時には、その家にはホンのちょっと興味を惹かれただけで、直ぐ忘れてしまったのでした。もっとも前に述べた通り、かなり深く脳裏に印象されましたから、折に触れ思い出したには相違ありませんが、その時にはこの家の事が後に自分の運命に大関係を持つなどと云う事は夢にも考えませんでした。

 ところが、私がこの映画の事をハッキリ思い出さなくてはならない日が、案外早く来ました。

 この映画を見てから一月ばかり後の事で、未だ残暑の色の濃い頃でしたが、私は目黒の郊外の淋しい道で、しかも真夜中に不思議な紳士に呼び留められました。この紳士は鳥沢治助と云って、有名な偏執狂で、緑林荘と云う奇怪な邸宅の持主で、私を呼び留めたその夜に、自宅の一室で不可思議な死を遂げたのでした。

 今こそ、私が誰であるか、お分りになった事と存じます。鳥沢の死を巡る奇怪な事件は当時読み倦きる程新聞に出た筈です。私は鳥沢に呼び留められて、彼の家に行ったばかりに、彼を殺したと云う恐ろしい嫌疑をかけられた青年香坂利吉です。不幸な私は容易に嫌疑を晴らす事が出来ませんでした。父もなく母もなく、一箇の放浪児だった私は、ああ云う事情の許に置かれては、疑われるのが当然で