Page:KōgaSabrō-The Crime in Green-Kokusho-1994.djvu/7

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 私の眼は門柱を睨んだまま、手足はブルブル顫え出しました。私は三年前のあの忌わしい夜、狂人鳥沢に呼び込まれて彼の殺害犯人として捕えられた夜の事を思い出しました。

 ああ、私に彼が狂人であると云う予備知識さえあれば、決して彼の家に足踏あしぶみなどするのではありませんでした。しかし全然彼の事を知らなかった私は、彼の紳士姿を信じ、又は放浪児として、何者の恐るべき事も知らなかった私は、彼の言葉のままに彼の後に従ったのでした。

 返す返すも彼の挙動そぶりに怪しい節のある事を悟らなかったのは私の不幸でした。私がちよっとでも穴山市太郎の変死事件の事を知っていたら、ちよっとでもあの有名な緑の手紙事件を知っていたら、又考えようもあったのです。定った住所も持たず、少しばかり画才のあるのを頼りにして、旅から旅へと漂浪し続けていた私はそうした出来事を知るに由もなく、ヒョッコリと東京に舞い戻って来て間もなくの夜の事で、うかうかと彼の口に乗ったのは、私の不幸ですが、又自ら招ける罪です。詰らぬ事で一生を棒に振った自分の不運と愚を嘲笑するより仕方がありません。



 緑の手紙事件!

 この事件は私こそ東京にいず、旅から旅へと流れていたために、少しも知りませんでしたが、後に起った穴山の変死事件と共に、小学生徒の口にまでのぼった程、東京全市を騒がした事件だったのです。

 久しい以前に幸運の手紙と云うのが世の中を騒がした事があります。それは匿名の手紙で、フランスの一士官から始まったこの幸運の手紙は連鎖を断つ事を許されず、この手紙を受取った者は直ぐここれにならって、九名の知人に幸運の手紙を出さなければならない。しからずんば非常な不幸に見舞われるぞと云う事が書かれているのです。この手紙を受取った人は、心のうちにはその迷信を笑いながらも、結局匿名で九名の知人に幸運の手紙を書かずにいられなくなるのです。それはもし手紙を書かなければ不幸に見舞われると云う強迫観念のためと云うよりも、もし他日不幸に見舞われた時に、この手紙を書かなかったためだと考えられる事が嫌なのです。云いかえれば不幸を追払うためよりも、不幸に会った時はこの手紙を書かなかったためでないと信じたいのです。つまりそうした人々の心の中には他日きっと不幸に襲われる――手紙を書く書かないに係わらず――と云う考えがあるのです。それほどこの世には不幸が充ち満ちているのです。

 そんな詮鑿せんさくはとにかく、幸運の手紙を受取った人達の大部分は手紙に命じてある通り、九名の知人に幸運の手紙を送ったらしいのです。その証拠には幸運の手紙は燎原の火の如く、全国的に拡がりました。警察当局者は公安に害があると云う考えで、躍起となって取締を始め、手紙を出した人は見つけ次第に処罰する規則を作りました。しかし、人々の心の中に喰い入った不幸を予期する観念は、容易に退き去らないと見え中々手紙を出す事は止まないのでした。

 緑の手紙と云うのも恰度これでした。ただ幸運の手紙と違う所は、緑色が幸運をもたらすもとであるから、すべてを緑色に塗れと云うのです。無論最後に連鎖を断たずに知人にこの手紙を送らなければならぬと云う事が書添えてありました。

 緑の手紙は幸運の手紙程流行しませんでした。何故なら幸運の手紙は単に書きさえすれば好いのですから訳はないのですが、緑の手紙の方はすべてを緑色に塗らなければなりませんから、臆劫おつくうでもあり、又費用もかかる事なので、ちょっと手軽に行えなかったのです。しかし、中には手紙の不気味な文句に怯えて、少しでも緑色に塗れば好いと云うので、壁を少し緑色にしたり、ふすまに緑色の紙を張っ