Page:KōgaSabrō-The Crime in Green-Kokusho-1994.djvu/10

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いずれもが口には鳥沢の天才的な技巧を賞めながら、心の中では云い合したように、薄気味悪く感じていたのでした。

 しかし、別に気味の悪いような事件も起らず、午後四時過ぎとなり、そろそろ帰途につく人も出来て園遊会も無事に終了すると思われましたが、その時に突如として、不祥事が起りました。それは鳥沢のふるい友人で招かれた客の一人だった穴山市太郎が、研究のために引入れてあった邸内の高圧線に触れて、黒焦げになって死んだのでした。

 園遊会の邸内にそんな危険な高圧線を引入れて置いた事が直ぐ非難されました。客の中には明らさまに今日一日だけでも何故電流を断って置かなかったかと咎めた人がありました。しかし、鳥沢の弁解した所に依ると、彼の実験は数ケ月間連続せしめなければならないので、どうしても中断する事が出来ず、もしいて中断すると、今まで数ケ月間続けて来た努力が全くふいになってしまうと云うのでした。で、どうしても中断する事が出来ないので、彼は高圧線に触れる事の危険を防止するために、最善の努力を払ったとこう弁解しました。

 全く彼の云った事はすべての客が首肯しなければなりませんでした。何故なら、鳥沢は無論電注は申すに及ばす緑色に塗りましたが、腕木と碍子がいしは真赤に塗ることを忘れませんでした。尚この上に緑色の板を電柱に打つけて、それに赤字で「危険」と書いて、触れそうな恐れのある箇所には、幾枚となくつけて置いたのです。無論こうした事は取締規則にある事で、しなくてはならぬ事ではありますが、鳥沢はそうする事が非常に辛かったと云うのです。と云うのは彼は一物残らず緑色としたかったので、高圧電気の危険を示すために、殊に人目を惹き易い赤字を使わねばならなかったのは、実に苦痛だったと云うのです。

 誰も知っている通り、赤は緑の余色であるから、緑に塗った板に赤字で書いたものは一際目立つものです。すべてを緑色にしてしまおうと云う鳥沢にとって、そうした標示は確かに大きな犠牲だったに相違ありません。実際その日居合した来賓達は、その刺々とげとげしい眼を射るような赤字に、思わずヒヤリとしたそうです。その殺風景さを非難する人と、主人の行届いた注意振りを賞める人と、相半ばしたと云う事でした。

 それ程際立った注意があったにも拘わらず、高圧線に触れて、惨死した穴山と云うのは、前にもちょっと述べた通り、鳥沢の旧い友人で、鳥沢がヨーロッパで乞食同様の放浪生活を送っていた時代から親しく交際していたらしく、穴山自身も矢張画家だと云う事でしたが、誰一人彼の描いた画を見た者はありませんでした。彼は鳥沢の家に最も多く出入した友人の一人で、噂では彼の生活費は、ことごとく鳥沢の手から出るのだと云う事でした。何でも、彼は欧洲で鳥沢が窮乏を極めていた時に、相当援助したらしく、それを恩に着て鳥沢が彼の面倒を見ているのだと云う事でした。

 穴山が惨死したと聞いた時の鳥沢の悲しみは並居る人の涙を誘わずには置かない程、激しいものでした。彼は穴山が高圧線に触れたと知ると、園遊会の最中にすら送電を断たないで、研究を続けていた数ケ月間連続の努力の結晶を、幣履へいりの如く棄てて、忽ちスイッチを切り、電流を断ちました。それから穴山の変り果てた無慙むざんな死体にすがりついて、

「ああ、僕の真の友達が死んだ。たった一人の心をうちあけた友達が死んだ」

と繰り返し叫びながら、慟哭どうこくしました。

 穴山の盛大な葬儀が鳥沢の手によって行われたのは、それから間もなくの事でした。