いずれもが口には鳥沢の天才的な技巧を賞めながら、心の中では云い合したように、薄気味悪く感じていたのでした。
しかし、別に気味の悪いような事件も起らず、午後四時過ぎとなり、そろそろ帰途につく人も出来て園遊会も無事に終了すると思われましたが、その時に突如として、不祥事が起りました。それは鳥沢の
園遊会の邸内にそんな危険な高圧線を引入れて置いた事が直ぐ非難されました。客の中には明らさまに今日一日だけでも何故電流を断って置かなかったかと咎めた人がありました。しかし、鳥沢の弁解した所に依ると、彼の実験は数ケ月間連続せしめなければならないので、どうしても中断する事が出来ず、もし
全く彼の云った事はすべての客が首肯しなければなりませんでした。何故なら、鳥沢は無論電注は申すに及ばす緑色に塗りましたが、腕木と
誰も知っている通り、赤は緑の余色であるから、緑に塗った板に赤字で書いたものは一際目立つものです。すべてを緑色にしてしまおうと云う鳥沢にとって、そうした標示は確かに大きな犠牲だったに相違ありません。実際その日居合した来賓達は、その
それ程際立った注意があったにも拘わらず、高圧線に触れて、惨死した穴山と云うのは、前にもちょっと述べた通り、鳥沢の旧い友人で、鳥沢がヨーロッパで乞食同様の放浪生活を送っていた時代から親しく交際していたらしく、穴山自身も矢張画家だと云う事でしたが、誰一人彼の描いた画を見た者はありませんでした。彼は鳥沢の家に最も多く出入した友人の一人で、噂では彼の生活費は、ことごとく鳥沢の手から出るのだと云う事でした。何でも、彼は欧洲で鳥沢が窮乏を極めていた時に、相当援助したらしく、それを恩に着て鳥沢が彼の面倒を見ているのだと云う事でした。
穴山が惨死したと聞いた時の鳥沢の悲しみは並居る人の涙を誘わずには置かない程、激しいものでした。彼は穴山が高圧線に触れたと知ると、園遊会の最中にすら送電を断たないで、研究を続けていた数ケ月間連続の努力の結晶を、
「ああ、僕の真の友達が死んだ。たった一人の心をうちあけた友達が死んだ」
と繰り返し叫びながら、
穴山の盛大な葬儀が鳥沢の手によって行われたのは、それから間もなくの事でした。