Page:KōgaSabrō-The Crime in Green-Kokusho-1994.djvu/11

提供:Wikisource
このページは校正済みです


 緑の手紙事件と穴山変死事件とは、再々申す通り、私が一管の画筆を携えて、旅から旅へと漂浪している時代の出来事で、いずれも後に聞いて知った事でしたから、今までの記述は記録に基いたので、私は割りに冷静に事実だけを述べる事が出来ました。しかし、富士丸事件以来、鳥沢には世人は非常な好奇心を持っていましたから、以上の二つの事件が相次いで起った時には、大新聞すら興奮して、煽情的な記事を掲げましたので、当時の世人の興奮の仕方は筆紙には尽す事は到底出来ない有様でした。ですから、事実は私の拙ない云い表わし以上の騒ぎであった事は明かママです。

 さて私はいよいよあの当夜の事を書かねばならぬ事となりました。この事は私がまざまざと経験した事であり、私に致命的な打擊を与えた事件ですから、こうして書いていても、心が乱れ手が顫えます。私は到底興奮せずに冷静に記述する事は出来ません。

 三年前の九月半頃の真夜中でした。当時私は窮乏のドン底にいまして、二三日来食物らしいものを口にしないで、あちこちで野宿を続けていました。当日は目黒の奥に知人が住んでいたので、そこを訪ねて何程かの合力に与かろうとしたのでしたが、生憎彼は留守でどうする事も出来ませんでした。それで当ママもなくブラブラと省線の目黒駅を目指して歩き続けたのですが、未だ駅までには一里足らず歩かねばならないと云う所で、真夜中になってしまったのです。目黒の奥は最近非常に開けましたが、それでも駅からこれだけの距離があると、家らしいものもなく、一 面の野原です。いわんや三年前には狐や狸が枯すすきの間を走り廻っていると云う有様で、無論誰一人往来するものはありません。四日か五日頃の月で、宵に姿を見せたきり、西の野の果に没してしまいましたから、中にはキラキラと数限りない星がキラめくばかりで、足許さえよく分らない暗さでした。

 私は別に淋しいとは思いませんし、馴れッ子になっていましたから、心細いとも思いませんでしたが、ただ辛かったのは胃の底の方がズキズキと痛む空腹です。胃が空っぽになると頭も空っぽになるものです。私はまとまった何事をも考える余裕もなく、ただ取り留めのない現われては直ぐ消える妄想を思い浮べながら、反射的に両足を動かしておりました。

 その時不意に眼前めのまえに人影が現われたのです。考えて見るとその人影は大分前から私の方に近づきつつあったのです。しかし、暗いのと、私の眼が空腹と疲労のためにくらんでいたので、直ぐ眼の前に見えるまで気がつかなかったらしいのです。その証拠には先方さきではとうに私の姿を認めていたと見えて、格別驚いた様子もなく、じっと私の方をすかして見ていましたが、

「もしもし」と呼び留めました。

 私は不意に暗闇から眼の前に現われた人影から、声をかけられてハッとしましたが、よく眼を据えて見ると、小柄ながらも紳士風の男なので、安心しながら返辞ママをしました。

 そうすると、彼は直ぐに訊きました。

「君は、これからどこへ行くのですか」

「別にどこと云ってあてはないのです」

「ふふん、この真夜中に当なしにこんな所を歩いているのはどう云う訳かね」

「宿なしなんですよ。実は友達の所に泊めて貰おうと思って出かけたんですがね、生憎戸が締っていたものですから」

「では君はそうして夜中歩いていようと云うのかね」