Page:KōgaSabrō-The Crime in Green-Kokusho-1994.djvu/9

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見地から、富士丸をすっかり緑色に塗り、ケビンの外も内も、テーブルも椅子もボー卜もランチも緑色でないものはありませんでした。彼はこの緑色の汽船富士丸を東京湾に浮べ、彼の名声と全力を尽して、朝野の貴顕紳士を招いて、一大盛宴を張りました。

 その当時は鳥沢が新帰朝の天才画家としての名声未だ衰えない時で、多少彼の性行の常軌を逸している事は噂されていましたけれども、彼の招きに応じて富士丸の甲板に集った人々のうちには、著名の名士の数も少くないようでした。それに、例の緑の手紙がようやく流行しかけていた時でしたし、彼が全くその手紙のために、富士丸を緑色で固めたと信ぜられていましたので、新聞は盛んに富士丸の事を書き立てましたので、いよいよ富士丸が東京湾頭に緑の船体を浮べて、あまたの名士を乗せて遊弋すると云う時には、その盛況を見ようとする見物で陸上は真黒に埋められまして、観艦式以外には見られない雑沓だったと云います。

 その時には別段変った事はありませんでした。ただ燕尾服によそおいを凝らした鳥沢が、矮軀短少の胸をらせて、外国人じみた顔に熱誠を込めて、緑色が幸福の使者である事を説き、世界に一つあって二つなき富士の壮厳と、緑色の神秘を解き得た者こそ、真の幸福を得るものであると述べた時に、来寶一同は彼の不可解な支離滅裂な議論に思わず彼の顔を見つめて、彼が狂気していると云う噂を思い起し、ひそかにうなずいたと云う事でした。

 富士丸船上の宴会があってから三月ばかり後の事でした。鳥沢は又々彼の緑林荘内の庭園で、一大園遊会を催しました。その頃彼は何を感じたのか、国を富強ならしめる源は電気の利用にあると云って、庭の一隅に電気研究所を建て、終日パチパチと火花の音をさせて、しきりに研究に耽っていました。彼に電気の知識があったかどうか、甚だ疑問ですが、彼のような偏執狂は、何事かに熱中すると、万事を放擲してその事にのみ没頭するのが常で、正規の手続きをして建てたのですし、名義だけでも高電圧を扱う電気の主任技術者も置いてありましたので、警察でもみだりに研究を差止める訳には行かなかったのです。彼は金にまかせて、書籍や機械類を購入して、昼夜の別なく研究に没頭していました。彼の研究の目的については誰一人知ったものはありませんでした。

 そうした研究の最中に、彼は突如として園遊会の開催を思い立ったのです。思い立ったら最後、どうしてもやらなければ気がすまぬ彼です。彼は天才的な頭をひらめかして、邸内の設備を整えました。そうして例によって朝野の名士に招待状を出したのです。

 この時には彼の頭が大分怪しいと云う事が一般に分っていましたので、前回の富士丸の時程の名士は集りませんでした。しかし、何を云っても金の世の中で、ただでそう云う堂々とした園遊会に招かれるのは悪い気持はしないと見えて、矢張りりくぞくとして詰めかける美々しく着飾った男女の群は相当あったと云う事です。

 邸の内外は無論緑色一色で、他の色は何にもありませんでした。緑色の芝生でもうせんのように敷きつめられた庭には、緑の葉をつけて、幹を緑色に塗られた樹木が、そこかしこに立並び、緑色の幕を張り廻した中には、緑色の模擬店が並び、接待の女達は着物も襟も帯も残らず緑色でした。食器も、甚しい事には、食物さえも緑色に塗られていました。酒はとにかくとして、お茶さえも濃い緑色だったのには、呑むのに気味が悪かったと云います。

 折から晩秋の空は一点の雲もなく晴れ亘って、一面の薄緑色で、会場は今云う通り見る限り緑色ですから、その間を歩む来賓達は一種異様な錯覚を起して、人工的に作られた舞台の上を歩いているような気がして、お互の会話も何となくわざとらしく、現実と遠く離れたような気がしたと云います。