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き」を經て澁味に到る路があることに氣附くのである。この意味に於て、甘味と「いき」と澁味とは直線的關係に立つてゐる。さうして「いき」は肯定より否定への進路の中間に位してゐる(九)。
獨斷の「甘い」夢が破られて批判的知見に富んだ「いき」が目醒めることは「いき」の內包的構造のところで述べた。また、「いき」が「媚態のための媚態」もしくは「自律的遊戲」の形を取るのは「否定による肯定」として可能であることも言つた。それは甘味から「いき」への推移に就いて語つたに外ならない。然るに、更に否定が優勢を示して極限に近づく時には「いき」は澁味に變ずるのである。荷風の『澁いつくりの女』は甘味から「いき」を經て澁味に行つたに相違ない。歌澤の或るもののうちに味はれる澁味