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Page:Iki-no-Kozo.djvu/68

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も畢竟、淸元などのうちに存する「いき」の樣態化であらう。辭書「言海」の「しぶし」の條下に『くすみていきなり』と說明してあるが、澁味が「いき」の樣態化であることを認めてゐる譯である。さうしてまた、この直線的關係に於て「いき」が甘味へ逆戾をする場合も考へ得る。卽ち「いき」のうちの「意氣地」や「諦め」が存在を失つて、砂糖のやうな甘つたるい甘味のみが「甘口」な人間の特徵として殘るのである。國貞の女が淸長や歌麿から生れたのはかういふ徑路を取つてゐる。

 以上に於て我々は略「いき」の意味を他の主要なる類似意味と區別することが出來たと信ずる。また、これらの類似意味との比較によつて、意味體驗としての「いき」が、單に意味としての