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Page:Iki-no-Kozo.djvu/60

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やしきの野暮な風で、お氣には入りませんのサ』といふ言葉がある。

 もとより、『私は野暮です』と云ふときには多くの場合に野暮であることに對する自負が裏面に言表されてゐる。異性的特殊性の公共圈內の洗練を經てゐないことに關する誇りが主張されてゐる。そこには自負に價する何等かのものが存してゐる。「いき」を好むか、野暮を擇ぶかは趣味の相違である。絕對的な價値判斷は客觀的には與へられてゐない。しかしながら、文化的存在規定を內容とする一對の意味が、一は肯定的に言表され、他は否定的の言葉を冠してゐる場合には、その成立上に於ける原本性および非原本性に關して斷定を下すことが出來ると共に、