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Page:Iki-no-Kozo.djvu/59

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「いき」は曩にも云つたやうに字通りの「意氣」である。「氣象」である。さうして「氣象の精粹」の意味と共に「世態人情に通曉すること」「異性的特殊社會のことに明るいこと」「垢拔していること」を意味して來てゐる。野暮は「野夫」の音轉であるといふ。卽ち通人粹客に對して、世態に通じない、人情を解しない野人田夫の意である。それより惹いて「鄙びたこと」「垢拔のしていないこと」を意味するやうになつて來た。「春吿鳥」のうちに『生質野夫やぼにて世間の事をすこしも知らず、靑樓妓院は夢にも見たる事なし。されば通君子の謗りすくなからず』といふ言葉がある。また「英對暖語」のうちに『唄女はおりとかいふ意氣なのでないと、お氣には入らないと聞いて居ました。どうして私のやうな、お