コンテンツにスキップ

Page:Iki-no-Kozo.djvu/26

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ふ一般的なものと囘想といふ特殊なものとの聯合によって體驗を說明するのは、多くの國語に共通なアルフアベツトの幾字かを並べて或る一定の國語の有する特殊な音を出さうとするやうなものであると云つてゐる(三)。「いき」の形式化的抽象を行つて、西洋文化のうちに存する類似の現象との共通點を求めようとするのもその類である。一體、「いき」の現象の把握に關して方法論的考察をする場合に我々は他でもない universalia の問題に面接してゐる。アンセルムスは、類槪念を實在であると見る立場に基いて、三位は畢竟一體の神であるといふ正統派の信仰を擁護した。それに對してロスケリヌスは類槪念を名目に過ぎずとする唯名論の立場から、父と子と聖靈の三位は三つの獨立した神々