Page:Iki-no-Kozo.djvu/25

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存在の理解には適切な方法論的態度ではない。民族的歷史的存在規定をもつた現象を自由に變更して可能の領域に於ていはゆる「イデアチオン」を行つても、それは單にその現象を包含する抽象的の類槪念を得るに過ぎない。文化存在の理解の要諦は事實としての具體性を害ふことなく有の儘の生ける形態に於て把握することである。ベルクソンは、薔薇の匂を嗅いで過去を囘想する場合に、薔薇の匂が與へられてそれによつて過去のことが聯想されるのではない。過去の囘想を薔薇の匂のうちに嗅ぐのであると云つてゐる。薔薇の匂といふ一定不變のもの、萬人に共通な類槪念的のものが現實として存するのではない。內容を異にした個々の匂があるのみである。さうして薔薇の匂とい