Page:Iki-no-Kozo.djvu/154

提供:Wikisource
このページは検証済みです

スを具󠄄有してゐるであらうか。また、サンサンス、マスネエ、ドウビユツシイママ、リヒアルド・スユトラウスなどの作品中の或る旋律を捉へて嚴密なる意味において「いき」と名附け得るであらうか。これらは恐󠄃らく肯定的に答へることは出來ないであらう。旣に云つたやうに、この種の現象と「いき」との共通點を形式化󠄃的抽象によつて見出すことは必ずしも困難ではない。しかしながら、形相的方法を採󠄃ることはこの種の文󠄃化󠄃存在の把握に適󠄃した方法論的態度ではない。然るに客觀的表現を出發點として「いき」の闡明を計る者󠄃は多くみなかやうな形相的方法に陷るのである。要󠄃するに「いき」の硏究をその客觀的表現としての自然形式または藝術󠄃形式の理解から始めることは徒勞に近い。先づ意