Page:Iki-no-Kozo.djvu/152

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い。しかしかかる無意識󠄂的創造󠄄も體驗の客觀化󠄃に外ならない。卽ち個人的または社󠄃會的體驗が、無意識󠄂的に、しかし自由に形成原理を選󠄄擇して、自己表現を藝術󠄃として完了したのである。自然形式においても同樣󠄂である。身振その他の自然形式は屢々無意識󠄂のうちに創造󠄄される。いづれにしても、「いき」の客觀的表現は意識󠄂現象としての「いき」に基礎附けて初めて眞󠄃に理解されるものである。

 なほ、客觀的表現を出發點として「いき」の構󠄃造󠄄を闡明しようとする者󠄃の殆んど常に陷る缺點がある。卽ち、「いき」の抽象的、形相的理解に止つて、具󠄄體的、解釋的に「いき」の特異なる存在規定を把握するに至らないことである。例へば、『美感を與へる