Page:Iki-no-Kozo.djvu/143

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かを說明すべき方法がないと同樣󠄂に、生來の不隨者󠄃として自發的動作をしたことのない者󠄃に努力の何たるかを言語をもつて悟らしむる方法はないと云つてゐる(一七)。我々は趣味としての意味體驗に就ても恐󠄃らく一層󠄃述󠄃語的に同樣󠄂のことを云ひ得る。「趣味」は先づ體驗として「味ふ」ことに始まる。我々は文󠄃字通󠄃りに「味を覺える」。更󠄃に、覺えた味を基礎として價値判󠄄斷を下す。しかし味覺が純粹の味覺である場合はむしろ少ない。「味なもの」とは味覺自身のほかに嗅覺によつて嗅ぎ分けるところの一種の匂を暗󠄃示する。捉へ難󠄇いほのかなかをりを豫想する。のみならず、屢々觸覺も加はつてゐる。味のうちには舌ざはりが含まれてゐる。さうして「さはり」とは心の絲に觸れる、言ふに言へな