Page:IP Editors report (Japanese).pdf/5

提供:Wikisource
このページは校正済みです

同時に、多くのインターネットユーザー、特にインターネットコミュニティにあまりなじみのない人たちが匿名性に恐怖感を抱いたり不信感を持つのも、2ちゃんねるのようなサイトのためでもあります。たとえば、2ちゃんねるはしばしば起こる噓の内容や憎悪に満ちた書き込みのために悪名高く、匿名であるがゆえにユーザーは書き込んだ内容に責任を持たずに好き勝手なことができます。直接相手にものを言うのではなく、誰かの後ろに隠れて話すのは、しばしば典型的な日本人の特性だとみなされています。ある回答者は、インターネットの匿名性と、この日本人の習性とは同根だと指摘しています。この種の匿名性に対する恐怖心から、ユーザーの中にはウィキペディアへの貢献に自分で制限をかける人もいます。たとえば、ログインはしない、他の編集者との対立を避けるため井戸端での議論には参加しない、などです。

やりかたがネガティブだという点で、ウィキペディアのコミュニティーは2ちゃんと同じだと思います。本当に敵意に満ちているのです。書いた内容に対して悪意に満ちた攻撃を受けるのです。

他の編集者とのコミュニケーションを避ける、あるウィキペディアの編集者

特筆すべきは、この観点からは、インターネットのコミュニティは敵対的であるという固有のネガティブなイメージがあるようだということです。インターネット上のペルソナと現実世界のその人とは別の人格だという意味で、IPユーザーと同様、ログインユーザーも匿名だという考えの上に、このようなイメージは形成されています。ログインユーザーであっても、自分の行動に責任を持つことなく有害なことを自由に行えると仮定すればですが。

ネガティブな面があるにしても、匿名性はインターネットでのコミュニケーションにおいて必要な手段だとも考えられています。個人情報が収集されることを警戒して、オンライン上で個人情報を出すことに慎重な人たちにとって、匿名性は必要不可欠なものです。このような警戒感は、日本のインターネットユーザーの間で蔓延していると言われています。ウィキペディアの場合で言えば、たとえユーザーネームだけでは、それがすぐにその人の身元を明かすわけではないとしても、アカウントと編集履歴を紐づけすることで、編集記事の傾向に基づいて[訳注:その人が誰かなのかの]ヒントを見つけ出せるでしょう。このように、インターネット上での仮名と関連する情報を少なくすれば、IP編集と同様、それだけうまく、かつ安全に[訳注:インターネット上の]ペルソナを始めることができるのです。

以下で書くように、あるログインユーザーはユーザーネームに自分の本名を含めていないと言っています。その説明では、「編集に使った情報源が、ある図書館でしか見つからなかったとすると、その人がどこに住んでいるかがわかるかもしれない。もし、ユーザーネームに本名を含めていれば、これらの情報をヒントにして誰なのかを特定し、将来嫌がらせをしてくるかもしれない」

その人の社会的なポジションにとらわれることなく、また、検閲を受けることもなく自由な発言ができる、というのが、インターネットの匿名性による別の恩恵でもあります。匿名でも、また本名ででもインターネットコミュニティで活動した経験のある、あるログイン編集者は述べています。匿名性の良い面は、「安全に気軽なチャットができたり、論争のあるトピックについて対話ができること」だと。「自分の本当のアイデンティティについて言わなければならないのは、敷居が高すぎます(日本人には)。」