Page:HiguchiIchiyō-Umore gi-Shōgakukan-1996.djvu/17

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と、からと笑つて一ぶつの残らぬ様子。再度ふたゝびもとの話しに返つて、ふけくるおそく帰宅せしが、お蝶いよこゝろもだえて、られぬまくらうくばかり、涙のとこにつくづくと案ずれば、「いとしや君様、あれほど熱心の計画に、何ごとのひゞいりたるか。談合する友は少なく、打こわすあだは多き世の中、くちしさいかばかりぞや。よひことば、今宵の顔色、必らずさいなくてはかなはじ。我れに隔ての包みかくしか、我れに歎きを懸けまじとてか。とにもせよ角にもせよ、我れは君の妻、に隔ての包みかくしか、我れに歎きをけまじとてか。とにもせよかくにもせよ、我れは君の妻、君を置きて我がつまなし、見すべき心はかゝる時よ。万人一様表面うはべは同じ、そのかはひとしたの下の骨に刻んで忘れぬは何。知らせて知りていうは共にしたきもの」と、思ひを暁の鐘にかぞへて、新玉あらたまのとしの始め長閑のどけからず、ひまなき恋に身は使はれ物。

 さんにちも過ぎて七種なゝくさの日に、辰雄誕生日の祝ひながら、新年のえん開きたく、お蝶さま是非借りたしとの文言もんごん、我れよろこばせんためかあらぬか、当日一式の身の廻り、何処いづく貴顕の席にも恥かしからず、心をこめし贈り物の品々。籟三喜こんで許るせば、我れもその人の意にそむかじと、こらすよそほひは錦上きんじやうの花。「嗚呼あゝ純粋の淑女しくじよさま、この運この姿なり、見せたき物は亡き親」といはれて、お蝶かゞみの前に泣きけり。


第八回


 百花にさきがけて咲くや窓の梅、うぐひすわが宿は、春風ぞ吹く品物の落成。かまびのかまの心配、まきの増減けぶりの多少、いろに胸をもやし微響びきやうにも気をいためて、ひゞいりたる、流れやしけん、金色きんしよくめい絵の具の変色、苦をめつくせし此処こゝ幾月。思ふこと思ふにかなひて、新藁しんわらみがきにみがいだせし光沢、耀かゞやく光りは我が光り。花瓶くわびんの上部見切みきりのうち、正面はりうに立つなみの丸模様、ぐりに飛ばす菊桐きくきりの、あしらひは古代唐草にして、見切りの境界けいかい雲形くもがたの、上下じやうげゑがくや東大寺模様、此処ここさやがた七宝しつぱうつぶしに、帯の菊の丸ありふれたれど、丹誠たんせいの筆いやしくもせず。上部終つてわくどりの内の画は、表面つゐの金銀閣寺、裏面かひ合はす湊川みなとがは稲村いなむらさき、誠意誠心みちて、よそほひなす彩色凡筆ぼんぴつならず。わくの廻ぐりはさつふうの秋の七草、金模様の蝶のちらし書き、このつぶしの雲ぼかしがた金なし地、先人未発の工夫をこらして、刻苦の跡いちじるく、台の書きつぶし淵腰ふちこしのわり模様。「微ならず細ならずとそしらばそしれ、眼を持つものは来ても見よ。一打棒ひとうちぼうにも美はこもる。我れ籟三不器用の技倆ぎりやう、この品物にとゞめぬ」と誇りて、晩酌ばんしやくぱい酒気さへ添へば心いよおもしろく、篠原に風聴ふいちやうがてら、お蝶まねかれし日の礼も言はんと、立出づる門口に、

兄様あにさましばし」

そでひかへるいもと、言はんとして言はんとしてたゆたふを、

なんぞ用か」

もどりすれば、

なんでなけれど夜風お寒むし。風ひきて給はるな」

の心づけうれしく、

「それほどおそくはならぬつもり。なれどもゑひざめは油断がならず、おり今一つ着て行かん」