Page:HiguchiIchiyō-Umore gi-Shōgakukan-1996.djvu/11

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わたく元来もとより私欲にらず。小を捨てゝ大に付く国利国益の策、立てしといふが抑々そもの破滅にて、 思へば了簡れうけんが若かりしなり。腕を組みての考へと、手を下ろしての実験とは、冠履くわんりの相違、うんでいの差別。人は我より利口にて、世は思ふまゝならぬ物と、つくづく歎息するにつけて、正義は人間の至宝といふことに漸々やうに発明し、才ばしりたる考へ身を離れしは、弥々いよ一物いちもつの暁がた。らい幾年いくねん志しをみがきて、遠国ゑんごく他国に流浪の結果、不思議に人らしく世に言はれて、少しは名をも知らるゝ境界きやうがいとしめづらしく帰京の錦、心に飾つて拝顔と楽しみし、くん此処こゝ草陰さういん苔下たいかの人、松風にたもとをしぼつて幾朝いくあさくむ阿伽井あかゐの水の、影見ぬ人に残念はまさりて、しほ君のこと懐かしく、慕はしかりし昨日きのふ今日けふ。打たるゝもうれしくのゝしらるゝも嬉しく、しんの兄弟にふ心地」

と、保ちかねてこぼす涙一てき、見る籟三感歎して、だいにつく手まづ上げ給へとたすけ起して、

「知らざりし今までの失礼、知りての後悔、打ち割りし意中に物のなきは見え給ふべし。いざ御墓前に仲直なかなほりせん、心おく事か」

光風くわうふう霽月さいげつ、引いて立つ手に恨みも残らず、取なせば、

「これも先師の導き、ありし朋友ともなり相弟子なり、君もひ給へ」

「お前様も来て御覧ぜよ」

「おすま何処どこぞ」

此処こゝよりは遠からぬ如来によらいまへに、引結ぶいほりの草深きところがそれ」

「さては目鼻の我が宿もこの坂下、篠原しのはらと呼ぶが当時の姓なり」

「さりとは奇遇よ、たつ殿どのとは君の事か」。ママ


第四回


 月に恨み風に憤り、天下てんがを悪魔の巣窟そうくつと見て、黒暗々こくあんうち彷徨さまよひし籟三、何処どこともなく一点の光りかすかに見えて、前途のばう漸々やうに大きくなりぬ。以前の新次、今の篠原しのはらたつと呼ぶ男、ありし職人時代には、負けぬ気象の人受けよからず、師匠の愛のおびたゞしきほど、憎くむ者さまの説を構へ、傲慢がうまんのゝし狡猾かうかつあざけりて、交際する者まれなるを、籟三れいの弱きもの助けたく、おとゝの様に贔屓ひいきせしが、恩は二代の親も同じ、師匠の金持逃もちにげするほどのやつ、師匠も我れも目違ひとあきらめて、なまじひ恥ぢを世に現はさじと、包み通せし七八年目、何処どこぞで悪人のなかいり今頃いまごろは何になりてと、折ふしのおもぐさ流石さすがに忘れぬところもありしに、思ひきや今日けふの身分。変りも変りし立派の紳士になりて、しかもる主義の高潔さ、話し合ふほどたのしさ増さりて、墓参帰りの半日を篠原のもとに説きつ説かれつ。

 辰雄今日けふまでの経歴につきても、善事と悪事をもらさずかくさず、篠原と呼ぶ今の家、何某なにがし地方の金満家なりし事、其処そこに住み込みの最初はじめより、次第に気に入られて、一人娘ひとりむすめ聟養子むこやうしとなりたること、その身しゆとなりて二年とたゝぬに、親女房とも引つゞきて病死せし不幸さ。さてその幾万の財産ゆぴのさしてなく、我が自由になすもらく、家につきての縁類にゆづりて、 退しりぞきたき願ひも、世の人さらに聞き入れてくれず、そのまゝ安座あんざ逸居いつきよの身、我が位置たかま